主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

私の苦しみの身代わりとしてのイエス様

メモ 本来、罪のないイエス様には苦しみを受ける理由はない。 イエス様が苦しみを受けられたのは、すべて罪あるゆえに私たちが受けなければならない苦しみ、また悪の力によって私たちが受けざる負えない苦しみの身代わりとして受けて下さったことを信じる。 …

結婚式祝辞

聖書にイエス様が最初に出席した結婚式の話があります。イエス様の親戚の結婚式だったので母マリアさんとお弟子さんたちも一緒に参加していたのですが、 一つの事件が起きます。 それは式の途中でぶどう酒が切れてしまったという事件でした。客にとって結婚…

あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。ヨハネ2章10節

メモ 1節 バプテスマのヨハネから洗礼を受けて三日目にガリラヤのカナで結婚式があった。この結婚式は母マリアの親族の結婚式であったために、息子であるイエス様と彼のいとこたち、ヨハネやペテロやアンデレたちも招かれた。 結婚式にはすでに母マリヤが居…

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。イザヤ書53章5節

イザヤ書53章苦難のしもべ レジュメ 1節 イエス様は神が待ち望み、救い主を求める敬虔なユダヤ人が待ち望んでいた救い主であった。2節 切り株からでる新芽のように、地中深い水源に根を伸ばす、砂漠の地の植物の根のように、2節後半から3節1. 見とれる姿がな…

「手を伸ばしなさい。」マルコ3章5節

「手を伸ばしなさい。」マルコ3章5節 マルコはイエス様が十字架刑に処せられることになったその最大のきっかけとなった出来事を伝えた。 それは、安息日律法に関して、パリサイ人たちを公然と批判し、安息日にしてはいけないと決めていたことを公然と破った…

人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。エペソ6章7節

転職を考えている若いクリスチャンの方へ。 良いことを行えば、奴隷であっても自由人であっても、 それぞれの報いを主から受けることをあなたがたは知っています。エペソ6章8節 当時の奴隷とは様々な職種を受け持っていた。確かに奴隷の身分は低いが、社会…

礼拝の言い表しと礼拝の豊かさ。                          みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。ローマ10章9節

礼拝の言い表しと礼拝の豊かさ。 『みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。』これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。ローマ人への手紙10章9節 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにお…

悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ローマ人への手紙12章21節

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。ガラテヤ6章9節 自分の中にある悪の行いに失望してしまい、善を行うことをあきらめてしまってはならない。 家庭の中、職場の中に悪がはびころうとしていたとしても、自らは善を行うことにうみ疲れては…

朝ごとに私を呼び覚まし、イザヤ書50章4節

主イエス様、 おはようございます。 今年も何はともあれ、私の外にどんな災害、災い、事件、困難、人との葛藤があろうとも、 私の内に、罪による罪責感、汚れ、失望、不安、動揺があろうとも、 順境の時も逆境の時も、 まず神の国とその義を第一に求めますと…

神の恵みがその上にあった。ルカ2章40節

不思議なこと。 2023年は主日の礼拝で始まり主日の礼拝で終わることができました。 神の民にとって礼拝に始まり礼拝に終わることのできる一年であったとはなんと恵みに満ちた一年であったことでしょうか。 一つ皆様にお尋ねしますが、今年の1月1日に、今年中…

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。ヨハネ1章9節

祈り 主イエス様、あなたが私の救いとなってくださった日から多くの月日をあなたと共に過ごして参りました。 ふつつかなしもべですが、あなたは私を見捨てず見放さず、あきらめず、 私の主、私の良き牧者でいて下さるこの絶大な恵みを 今日のクリスマスの日…

イエス・キリストの誕生は次のようであった。マタイ1章18節

主は道を示される。 マタイ1章18節~25節 その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。18節 神様は聖霊によってご自身の計画を形に現わされます。聖霊は、自然科学の法則を…

国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。イザヤ書2章4節

旧約聖書が預言しているイスラエルの国はイエスキリストが王となってもはや戦いの無い平和な国であり、今あるイスラエルは聖書の預言の成就ではありません。 (1948年のイスラエルの建国は聖書の預言の成就ではありません。しかし、政治的イスラエルの建…

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。イザヤ53章3節

キリスト教信仰の中核は、イエス様の十字架。 十字架にあるのはみじめさの極み。 ヒーローになれなかった神。 自分を最後まで救わなかった神。 人が人であるのは皆が自分の生きている意味を問うことができるところにあると思います。 物事が順調に進んでいる…

安息日は人間のために設けられたのです。マルコ2章27節

人の子は安息日にも主です。マルコ2章28節 イエス様は律法の終焉と神の国の完成である安息の到来について告げる。 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる…

誰に仕えるか。主人を持つという生き方。マルコ2章14節

イエス様についていくとはイエス様ご自身を目的にするということです。 イエス様の働きをするということではありません。 どんな働きをするかどうかはイエス様についていく中で導かれていくものです。 イエス様は道を歩いている中、大勢に人を見かけたはずで…

わたしについて来なさい。マルコ2章14節

『イエス様の愛(真)弟子になりなさい。』 1.私は高校の教員を辞め、流道を通して福音を伝えていこうと決め、聖神館流道の内弟子となり、道場に通いつめていました。 しかし、イエス様ご自身に出会い、イエス様を師として従っていくように導かれ、 流道の…

荒野で叫ぶ者の声がする。マルコによる福音書1章2節から8節

義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。マタイ5章6節 バプテスマのヨハネの生き方 1.聖書におけるバプテスマのヨハネの役割 律法から福音への架け橋となった旧約聖書最後の預言者。人々がイエス様を救い主として受け入れるための…

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節(新改訳) 1.この御言葉はキリスト教の本質を言い表すとても重要な言葉です。 天地が造られる前にすでに神は居て、神は愛という本質をお持ちであるがゆえに愛する対象として人を創造されました。 人は、や…

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節

人は神に愛されるために生まれた。 人は神に愛されるという神様の目的(本質)があって、神に創造された(人の形という実存が創造された)本質→実存。 サルトルの言う実存主義(実存は本質に先立つ)とは真逆になります。 引用しますが、 人間の本質?ではこ…

人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることをあなたがたに知らせるために。マルコ2章10節

1節:カペナウムは、イエス様のガリラヤ宣教の中心地。 イエス様は各地を巡り歩かれたが、働きを終えるとまたセンターとなる地に戻ってきて、そこでみ言葉を語られる。 あなたにとっての拠点はどこか。礼拝を捧げ、み言葉を聞く教会こそクリスチャンの拠点で…

イエスはみことばを話しておられた。マルコ2章2節

み言葉を語るときに。 どこにいっても、イエス様のそばには人々が集まってくる。 多くの人が集まったため、・・このイメージを心に焼き付けたい。すなわち、そこに人々が吸い寄せられるようにどこからともなく集められる景色を心に描くことが大切だ。 私も、…

それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして彼らはみな、無事に陸に上がった。使徒27章44節

神の奇跡の一枚の板切れ パウロがクレタ島からローマに向かう航海はどこかで私たち一人ひとりの波乱万丈な人生の航海を表しているかのようです。4節:そこから出帆したが、向かい風なので。 7節:風のためにそれ以上進むことが出来ず、 9節;もう航海は危険…

さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、 マルコ1章40節

みんながあなたを探しております(マルコ1章35節から42節) 旧約聖書の時代から重い皮膚病を患った人は、人里離れたところで過ごさなければならなかった。 だれかが寄ってきたならば「わたしは汚れた者です」と自ら叫び、人を遠ざけなければならない。 …

若いころお世話になった南インドキリスト教会の皆様

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私を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。ヨハネ7章38節

『生ける水の川』ヨハネ7章38節 1.だれでも渇いているならわたしのもとに来て飲みなさい。 私の魂は生ける水を慕い求めてあえぎ、すでに魂の渇きは頂点に達し、命が尽き果てるような状態でした。 私の魂が滅びの淵に沈みこんでいこうとしている瀬戸際、イ…

ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか」ヨハネ13章5節

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のため、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです マルコ10章45節 先日、7月26日から30日にかけて、韓国の大田サンソン教会からの宣教チームが来て下さり、…

イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。マルコによる福音書1章35節

祈られるイエス様 イエス様は一日の宣教の始まりに、朝早くまだ暗いうちに起きてただ一人で父なる神に祈っておられました。 私はここでイエス様が初めて人としての模範を弟子たちに表されたことに気が付きました。 今まで弟子たちの前で表されたイエス様の姿…

敵意は十字架によって葬り去られました。エペソ2:16節。

神の家族のはじまり。 敵意は十字架によって葬り去られました。エペソ2:16節。 エルサレムの神殿には、異邦人とユダヤ人の庭の間に隔ての壁があり、『その壁を乗り越える異邦人は死刑に処せられる』という注意書きが掲げてあったそうです。 ユダヤ人が大切に…

みこころの奥義を私たちに知らせて下さいました。エペソ1章9節。

〈神の豊かな恵み〉イエス様は『わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです』ヨハネ15:15と言われ…