主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。ヨハネ4章42節

自分自身でイエス様に聞く。

 

あらすじ。

ヨハネ福音書が書かれた目的は、福音書を読んでイエス様が救い主であることを信じて、永遠の命を得てほしいということです。

福音書に登場する数々の人物も皆、どのような形でイエス様に出会いそして信じるものに変えられていったのかが描かれています。

サマリア人の女性も自分自身の不幸な境遇のただなかでイエス様に呼びかけられ、イエス様が待ち望んでいたキリストであることを知り、信じて救われました。

 

彼女は信じたあと、町の人々にイエス様が救い主であることを大胆に伝える証人に変えられました。

人々は、彼女の証を聞いてイエス様が救い主であることを信じました。

39節から42節までの4節の中に『信じる』に至った人々の在り方が描かれています。

①39節では、『その女のことばによってイエスを信じた』とあります。

この女性は、何を話したかというと『あの方は、私がしたことを全部私に言った』と話しました。イエス様がわたしに何をしてくれたのか。ということを自分の経験したことをありのままに話しました。このようなイエス様の伝え方を一般的に証をすると言います。

エス様が自分に何をしてくれたのかをそのまま話すだけで人々はイエス様を信じるようになることが明らかにされています。

彼女は、人々に信じなさい!と勧めたわけでもなく、十字架の意味を解き明かしたわけでもありません。しかし、人々は彼女の言葉によってイエス様を信じました。

②40節 『自分たちのところに滞在してくださるように願った』

この節は信仰の成長ということに関していろいろなことを私たちの教えてくれます。

女の証を聞いて人々はイエス様を信じました。ただ、それは、信仰の始まりに過ぎません。心の中に淡く生み出された信仰の種を大切に守り育てていくことが大切です。

伝道集会に参加して、伝道者の説教、証を聞き、その場でイエス様を信じたいを思い、信仰を持った人もいるでしょう。しかし、その後、そのまま日常生活に戻ってしまうなら、ただ一人で信仰を維持することは至極困難です。やがて、自分でもあの時は信じた気がしたけど、今はわからないと信仰を失ってしまいがちです。

信仰は聞くことにより成長していきます。何を聞くのか聖書からイエス様の言葉を聞くことによって成長します。しかも、聞き続けることが大切です。

ですから、町の人々が、女の証を聞いて信じたのち、みずからイエス様のところに行き、自分たちのところに滞在してくださるように願ったのは、大変賢い選択でした。

③41節『イエスのことばによって信じた』

40節の続きになりますが、はじめて信仰を持ち始めて、聖書を学んでみようと願った人も、66巻もある聖書をどこからどのように読んだらよいか戸惑ってしまうと思います。

もし、近くの良い教会に通っているならば、牧師が丁寧に聖書の学びを導いてくれると思いますので、安心です。

でも、教会に通うきっかけがまだないとしたら、町の人々と同じように、イエス様が語られた言葉に耳を傾けるのが良いでしょう。

具体的には福音書と読むとよいと思います。

福音書には、イエス様が語られた語録がちりばめられています。これらの言葉に注意して耳を傾けていくうちにイエス様に対する信仰が成長していきます。

エス様は当時の農民や町人や漁師などの無学な人々に語りかけているので、イエス様の話す内容はだれでも分かりやすい言葉です。現代の私たちにも同じように理解しやすい言葉で語っています。

④『自分で聞いて』自分で聖書を読んでいく。

信仰の成長にとって大切なことは、自分で聞いていくという習慣ではないかと思います。

教会や集会で牧師の説教を聞くこと、インターネットで説教を聞くこと、説教集を読むことなどははその人の信仰の養いに非常に役立ちます。

それにましてさらに信仰の養い、成長に役立つことは、自ら聖書を読む時間を持ち、

みずからイエス様はどんな方でどんなことを言っているのかを自分で聞きながら読むことではないかと思います。

読んで教えられたことは、ノートに書き記していくとさらに理解が深まります。

⑤42節『この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです』

そして、聖書を読む時、いつも心に留めておくことは『この方がほんとうに世の救い主だ』ということを知るということを目標を読み進めていくとき、聖霊がより分かりやすく教えて下さいます。

2020.6.28 茅ヶ崎集会建徳要旨