わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、私自身を彼に現します。
ヨハネ14章21節。
ヨハネ5章18節のユダヤ人の批判に対し、イエス様自らがご自身と父なる神との関係について解き明かされます。
概観
1.父なる神と御子の関係 19節から20節
2.父なる神が御子に委ねられたもの 21節から22節
3.人に求められる御子に対する態度 23節から24節
4.人に対する御子の応答 25節から28節
1.わたしを見た者は、父を見たのです
御子イエス様は父なる神様のなさることをすべて見ておられ、父なる神様と全く同じ振る舞いを為されます。それゆえ、イエス様の姿、行い、言葉、態度、歩みのそのすべては父なる神様を表しています。
ヨハネ1章18節で『いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである』、
ヨハネ14章9節『わたしを見た者は、父を見たのです』
とあるとおり、私たちは、父なる神がどのような方であるかを知るためには、御子を見ればよいのです。
イエス様と父なる神様との関係を見るときに一番重要なことは、父なる神は、御子をこよなく愛しておられたことです。御子を愛する愛のゆえに、父はご自身のすべてを御子にお示しになりました。御子は、御父が自分を愛して下さっているゆえに、父なる神のなさるすべての事をなさいました。
父なる神様と御子イエス様は、いつも愛の中に交わりを保たれていることをイエス様は証されます。
2.御子はいのちとさばきの権を委ねられる。
父なる神様は御子を愛している故に、ご自身の神としての特権のすべてを御子に委ねることを善しとしました。
①御子もいのちを持ちました
②すべてのさばきを御子に委ねられました。
3.御子を敬うように。
御子イエス・キリストは私たちの礼拝の対象です。
父なる神は御子を敬うことを人に委ねられました。
御父と御子が一つであることを教えられ、
御子を愛することは御父を愛することであり、
御子を信じることは御父を信じることであり、
御子に従うことは御父に従うこと、
御子に聞くことは御父に聞くことであるということを悟るとき、
三位一体の神は別々ではなく、
私たちは、礼拝の時、心からイエス様に礼拝を捧げれば十分であることを知ることが出来ます。御子イエス様への礼拝が捧げられる時、御父は喜ばれ、また聖霊も喜ばれます。
御子イエス様を敬うことを心から学んでいきたいと願います。
4.御子を通して。
人はいかなる場合でも御子を通して初めて、御父に近づくことができます。御子を通して父なる神を信じる者は、永遠の命を持ち、裁かれず、死から命に移ります。
御父を信じていると主張していても、御子を信じようとしないなら、それは御父を信じてはいないのです。
ユダヤ教もイスラム教も日本神道も、他の宗教も私たちは神を信じていると主張しますが、聖書が言っていることは、真の神を信じているなら、神が御子を世に遣わし、
御子イエス・キリストのことも同時に信じるはずであること。
御子を信じることができていないならば、それは真の神を信じてはいないということです。異端との区別は御子(人の子)を真の神と信じてるかいないかで区別ができます。
『聖霊によらなければ、だれもイエスを主ということはできない』と第一コリント12章3節にありますが、
人がイエスを主と呼ぶことができて初めて、その人は三位一体の聖書の神を信じていると言えます。
ですから、御子を信じていれば救われ、さばきにあうことなく、永遠の命が与えられます。逆に言えば、御子を信じる以外に救いはありません。
2020.7.26 茅ヶ崎集会メッセージ要旨