主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚したわたしの偉大な名の聖なることを示す。エゼキエル36章

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。詩篇23:3
しかし主は、御名のために彼らを救われた。それはご自分の力を知らせるためだった。
詩篇106:8

1:神の名はイエス
・そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。ヨハネ17:26
私たちクリスチャンは当然のようにイエス様の名を呼んでいるのは、イエス様がご自身の名を教えて下さったからです。
エス様という名こそ、天地創造の神の名です。かつて、神は、ご自身をあってあるものと紹介していました。また、イスラエルの民をエジプトから救い出した神の名を主と呼び、他国の神々と区別しました。イスラエルの神の名は主でした。
そして、新約聖書の時代になり、神は、イエスの名をもって、この地上世界に現れて下さいました。
このイエスこそ、神が遣わされたメシアであり、このメシアは十字架と復活により、救いの御業を完成された後、天に帰られ、イエスを主とされました。そしてイエスの御名は教会の頭として与えられた名です。

・わたしは、あなたが世から取り出してわたしにくださった人々に、あなたの御名を明らかにしました。ヨハネ17:6
・わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。他の人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れます。ヨハネ5:43
・あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。17:11

 

2.イエスの御名を教えられるとは。

・その人は答えた。『主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。
・彼は言った。「主よ、私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。ヨハネ9章36,37節

ここには、主の御名を教えられた一人に盲人の証があります。
この盲人は、イエス様にシロアムの池に行くように言われ、その通りにすると目が見えるようになりました。しかし、全盲であったために、誰が行くように言ったのかは分かりませんでした。
しかし、彼はその方を知りたいと願いました。
彼はその方がメシアであると心の中では思っていました。しかし、彼はまだメシアは誰であるかを知りませんでした。

エス様はご自身がメシアであり、神の名であることを告げようとされました。
エス様がご自身の名を知らせると、彼はイエス様を神と礼拝しました。

彼は、自分を癒してくれたのは神であると知っていましたが、神の名をまだ知らされていなかったために、誰を礼拝したらよいかわからずにいました。神の名はイエスであると教えられ、彼は心から神の名を呼びながら、神を礼拝する喜びと特権に与ることができました。 

3:御名を教えられた者に対する神の恵み。


・わたしは、イスラエルの家がその行った諸国の民の間で汚したわたしの聖なる名を惜しんだ。それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。

イスラエルの家よ。わたしが事を行うのは、あなたがたのためでなく、あなたがたが行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。

わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚したわたしの偉大な名の聖なることを示す。エゼキエル36章
21、22、23節。

 

エス様が私たちにご自身の御名を教えられたことにより、イエス様はご自身の御名にかけて、私たちを一人も滅びることなく永遠の命を得るように守って下さる恵みをくださいました。

エゼキエル書に聖なる名とあります。聖であるとは、俗と対する言葉であります。俗は世の汚れ、人の欲の世界です。聖と俗は決して交わることはありません。俗(世の汚れ)がどれだけ、聖を汚そうと覆いつくしても、聖は聖であるがゆえに、決して汚れることはありません。世に影響されることなく永遠に、聖さを保たれているのが聖です。

神はご自身の聖さを自ら証しするために、人がどれだけ汚れていても、どれだけ神の名を汚したとしても、ご自身の聖という名にかけて、ご自身の聖さを証されます。

それゆえ、イスラエルが偶像礼拝に陥り、神の御名を汚したにも関わらず、イスラエルにメシヤを与え、千年王国の祝福を約束されました。

祈り。

エス様、私たちは、愚かしく、不従順で、自分の利益を求め、神を求めないものです。
本来ならば、自分の行いによって、神の怒りに定められてなにも申し開きの出来ない者です。
にもかかかわらず、あなたは私たちを愛し続けて下さっています。
守り続けてくださっています。
それは、私たちが正しく歩めたからではなく、ただただ、あなたの御名が聖いからです。
あなたの御名は正義であり、真実であり、永遠であります。それは、人の持つ正義のように立場によって移り変わるものではなく、永遠に変わらない正義であり真実です。

私たちが、暗闇の中であなたの聖なる御名を呼び求めたとき、あなたはその叫びに耳を留めてくださいました。その呼び求めに応え、私たちを暗闇の中から光の中へ招き、導いて下さいました。
主よ、あなたは、その時から、一度も私たちを見捨てず、見放さず、
不埒な私たちを守り、導いて下さっています。

それは、ほんとうに私たちが正しいからではなく、清いからでもなく、従順だからでもなく、
ただ、ただ、あなたが正しく、真実で、永遠で、愛の方だからです。

主よ、あなたは、あなたの聖なる御名を決して、ご自身の聖にかけて汚すことはされません。
私たちは、あなたが、あなたの聖なる御名をご自身でどこまでも守られる方であることを知るとき、
平安を得ることができます。

それは、私たちの救いがどこまでも、私たちによるのではなく、完全にあなたの一方的な憐れみによるのだということを知るからです。

エス様、あなたをほめたたえます。感謝。

 

2020.10.11 茅ヶ崎集会建徳要旨