主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

イエス・キリストの誕生は次のようであった。マタイ1章18節

主は道を示される。

マタイ1章18節~25節

その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。18節

神様は聖霊によってご自身の計画を形に現わされます。聖霊は、自然科学の法則をはるかに超えた、神ご自身の計画を実現する務めを果たしておられます。神様は聖霊によって、神様の救いの計画を進めておられます。この地上に救い主を送られる際には、

聖霊の御業が強く働かれました。

神様はご自身の救いの計画をマリアとヨセフという夫婦を用いて実現しようとされました。

 イエスはご自分の民をその罪から救って下さる神です。

その名はインマヌエルと呼ばれる方。インマ:一緒に 。ヌ;私たちと エル;神

神は私たちと共におられるという意味です。

神様はみ使いを用いられます。み使いを通して、啓示を与え、ヨセフの不安を取り除き、なすべき決断へと導いて下さいました。

神様は、神の御心を尋ね求める者の心を知り、導きを決断を与えて下さる方です。

神様は私たちに進むべき道を示して下さる方なのです。

 

み使いは存在しています。み使いは神の僕として、また人に仕えるために創造された霊的な存在です。

ヨセフに神の御心を伝えるためにみ使いは夢を用いられたことが分かります。

み使いは人に何をすべきかを伝えてくださり、

み使いは預言的な言葉を語られます。

 

マリアはすでに新しい命が宿っていることを受け入れていました。

マリアは夫を信頼し、聖霊の御告げを夫に話していました。しかし、ヨセフはマリアの話があまりにもこの世の常識からかけ離れており、また、自分自身はマリアのことばを信じても、周囲の者たちには到底理解できるものではなく、マリアに身の危険が生じる事を危惧し、ヨセフは、マリアをさらし者にしたくはなく、ヨセフはマリアを生かすために、苦渋に満ちた最善の決断をしました。  

 しかし、ヨセフはまだ理性では理解できないこの出来事をいったいどういうことなのかと心に思いめぐらしていた。

ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ24節

 

み使いはヨセフに神の御心を告げ、ヨセフはみ使いのお告げを信じ、受け入れました。

ヨセフは決断と行動力のある人でした。

ヨセフのすごいところは、ヨセフにとっては理解のできない状況に陥ってもマリアを責める事はせず、当時の律法に従って、最善の判断をし、『内密に去らせようと決めた』と決めたところにあります。

しかし、神様はヨセフが決めたその夜に、み使いを夢の中に遣わし、神様の御心を告げます。ヨセフは神様の御心を知ると、み使いの命じられたとおりに、

去らせようと決めていた自分の決断は捨てて、神様の命令を素直に受け入れます。

神様は、ヨセフの決断の間違いをただちに修正して下さったのです。

同時に、神様の命令を素直に受け入れ、すぐに決断できるヨセフの行動力は尊敬に値すると思います。

 

私たちの家族にもどのようにしたら良いか分からず、思いめぐらすことがあふれています。

ただ、迷い続けているのではなく、ヨセフのようにその時その時における最善の決断をし、主に委ねて行きたいと思います。イエス様は遠い先まで何をすべきかは示されませんが、目の前において進む道を示し、開いて下さいます。

私たちも間違うことがある。いえ、何が最善の道か分からない。ただ、主に信頼して一歩を歩み始めれば、たとえ間違った決断をしたとしても、神の憐みと全能なる御知恵によって、私たちの思うところをはるかに超えた神の素晴らしいご計画の実現のために、

私たちの道を修正してくだると信じます。

開かれたところにおいて、主に信頼し、信仰をもって前に一歩進む決心してゆきたいと願います。 一歩前に進めば、新たに次の一歩が示されることを信じます。