【十字架の上でも、なお失われることのない神の子としての権威】
イエス様、
あなたは十字架の上で苦しみを受けられていても、なお、罪人の声に耳を傾けていてくださいました。
イエス様、あなたはあなたを救い主と認め、イエス様により頼む者をお救いになります。
十字架につけられるとは、どれほど悲惨な状況でしょうか。
傷つき、血が流れ、苦しみ、孤独で、縛られ、逃れることの出来ない束縛、恥とそそりを最後まで人々の前にさらさなければなりません。死にたくても、すぐに死ねず、苦しみ続けなければなりません。
あなたは十字架の上で苦しみを受けられていても、なお、罪人の声に耳を傾けていてくださいました。
イエス様、あなたはあなたを救い主と認め、イエス様により頼む者をお救いになります。
十字架につけられるとは、どれほど悲惨な状況でしょうか。
傷つき、血が流れ、苦しみ、孤独で、縛られ、逃れることの出来ない束縛、恥とそそりを最後まで人々の前にさらさなければなりません。死にたくても、すぐに死ねず、苦しみ続けなければなりません。
けれども、主よ、あなたはこの極限の中で、犯罪人と同じ十字架につけられたのです。
十字架につけられるほどの罪深い人間を救うために、同じ姿をとられたとはなんというへりくだりでしょうか。
十字架につけられるほどの罪深い人間を救うために、同じ姿をとられたとはなんというへりくだりでしょうか。
イエス様だけが、天国へ行く希望をはっきりと約束することのできる御方です。
ああ、十字架の上でまさに死に行くの場で、イエス様に声をかけられた犯罪人はどれほど心に平安があたえられたことでしょうか!
「私はイエス様と共に天国に行くことができる。この苦しみの後に、恐怖が待っているではなく、
喜びが待っているのだ。なんと幸いなことだろうか。神の子の隣で息を引き取ることのできる私はなんと幸いなことであろうか。
私の罪深い人生も、この最後の瞬間に救い主で出会うために用いられたとはなんと幸いな人生であったことだろうか。」と心の中に深い平安を得たに違いありません。
喜びが待っているのだ。なんと幸いなことだろうか。神の子の隣で息を引き取ることのできる私はなんと幸いなことであろうか。
私の罪深い人生も、この最後の瞬間に救い主で出会うために用いられたとはなんと幸いな人生であったことだろうか。」と心の中に深い平安を得たに違いありません。
イエス様、あなたの御救いを褒め称えます。感謝。