主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

ショートメッセージ

誰に仕えるか。主人を持つという生き方。マルコ2章14節

イエス様についていくとはイエス様ご自身を目的にするということです。 イエス様の働きをするということではありません。 どんな働きをするかどうかはイエス様についていく中で導かれていくものです。 イエス様は道を歩いている中、大勢に人を見かけたはずで…

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節(新改訳) 1.この御言葉はキリスト教の本質を言い表すとても重要な言葉です。 天地が造られる前にすでに神は居て、神は愛という本質をお持ちであるがゆえに愛する対象として人を創造されました。 人は、や…

それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして彼らはみな、無事に陸に上がった。使徒27章44節

神の奇跡の一枚の板切れ パウロがクレタ島からローマに向かう航海はどこかで私たち一人ひとりの波乱万丈な人生の航海を表しているかのようです。4節:そこから出帆したが、向かい風なので。 7節:風のためにそれ以上進むことが出来ず、 9節;もう航海は危険…

さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、 マルコ1章40節

みんながあなたを探しております(マルコ1章35節から42節) 旧約聖書の時代から重い皮膚病を患った人は、人里離れたところで過ごさなければならなかった。 だれかが寄ってきたならば「わたしは汚れた者です」と自ら叫び、人を遠ざけなければならない。 …

私を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。ヨハネ7章38節

『生ける水の川』ヨハネ7章38節 1.だれでも渇いているならわたしのもとに来て飲みなさい。 私の魂は生ける水を慕い求めてあえぎ、すでに魂の渇きは頂点に達し、命が尽き果てるような状態でした。 私の魂が滅びの淵に沈みこんでいこうとしている瀬戸際、イ…

イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。マルコによる福音書1章35節

祈られるイエス様 イエス様は一日の宣教の始まりに、朝早くまだ暗いうちに起きてただ一人で父なる神に祈っておられました。 私はここでイエス様が初めて人としての模範を弟子たちに表されたことに気が付きました。 今まで弟子たちの前で表されたイエス様の姿…

敵意は十字架によって葬り去られました。エペソ2:16節。

神の家族のはじまり。 敵意は十字架によって葬り去られました。エペソ2:16節。 エルサレムの神殿には、異邦人とユダヤ人の庭の間に隔ての壁があり、『その壁を乗り越える異邦人は死刑に処せられる』という注意書きが掲げてあったそうです。 ユダヤ人が大切に…

みこころの奥義を私たちに知らせて下さいました。エペソ1章9節。

〈神の豊かな恵み〉イエス様は『わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです』ヨハネ15:15と言われ…

それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。ルカによる福音書24章31節

イエスだとわかった。ルカ24章31節 1.31節はさりげない一節ですが、非常に大切な真理を含んでいると言えます。ここには、二人の弟子はイエス様からの解き明かしを聞いて、聖書の預言が良く分かったとか聖書の意味が良く分かったと記しているのでありません…

わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。マタイ9章10節から13節

罪人の友となったイエス様。マタイ9章10節から13節。 私たちは神様に愛されるために造られました。神様は、造られた人をエデンの園に住まわせ、人との愛の交わりを楽しんでいました。 ところが人は神の戒めを破り人の中に罪が入り込みエデンの園から追放され…

それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。マルコ1章21節

権威のある、新しい教え。マルコ1章27節。 イエス様は宣教を始めるにあたり、弟子を集められました。それは、イエス様の昇天後、イエス様の福音を全世界に宣べ伝える器を必要とされていたからです。イエス様は弟子を集め教育し訓練されました。弟子たちはイ…

神の子イエス・キリストの福音のはじめ。マルコによる福音書1章1節

マルコについて 1.マルコは直接、イエス様の使徒ではなく、ペテロの弟子となり、ペテロから直接イエス様の生涯について話を聞かされ福音書を記しました。 14章50,51節には『ある青年が、~~すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた』とあり、こ…

わたしはかがんでその方のくつのひもを解く値打ちもありません。マルコ1章7節

洗礼者ヨハネ。マルコ福音書1章2-8節1 洗礼者ヨハネは、旧約聖書の最後の預言者とも言われ、エルサレムに暮らす宗教家たちのように外面だけ宗教儀式を守ればよいというのではなく、心の内側から律法に従うことを説いていました。 ヨハネ自身がなによりも義に…

ヨハネからバプテスマをお受けになった。マルコ1章9節

洗礼と共に始まったイエス様の宣教。マルコ1章9-15節 1.イエス様は常に神と共に歩まれていたので、罪を悔い改める必要はありませんでしたが、自ら遜り、罪人の受けるべき模範として洗礼を受けられました。 洗礼の目的は聖霊を受けることにあります。 公に…

『なぜ泣いているのですか』ヨハネ20章11節から18節

愛するイエス様が十字架で処刑され、悲しみに打ちひしがれていたマグダラのマリヤ。追い打ちをかけるかのように、イエス様の亡骸が消え、マリヤは外で墓のところにたたずみ泣いていました。 そんなマリヤに『なぜ泣いているのですか』とみ使いと復活されたイ…

死ぬべき体をも生かす御霊。ローマ人への手紙8章11節。

イエス様の復活は今を生きる信徒にとってどのような意味があるのでしょうか。 イエス様を信じたことにより、御霊が私たちの霊をよみがえらせ、さらに私たちの霊と共に御霊も私たちの内に住んで下さいました。 さらに御霊は『死ぬべき体』にも力を及ぼし『死…

私についてきなさい。マルコ1章17節。

1.ペテロがイエス様の弟子となった原体験がここに記してある。ガリラヤの漁師に過ぎなかったペテロにイエス様が目を留め『わたしについてきなさい』と直接招いて下さった。このことはペテロにとって主の弟子として歩む出発点となり、土台となり、生涯を導…