主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

私の羊を飼いなさい。ヨハネ21章17節 

 

私たちは誰でも主に従うことに失敗をしてしまう者です。主を信じて、主を喜んで主に力いっぱい従って来たはずなのに、こんなはずではなかったと悔やまれるような辛い悲しい経験をすることもあります。ペテロと同じように、世の権力の力に圧倒され、またサタンの敵意に満ちた激しい脅しに屈服し、主を知らないと裏切ってしまい、涙を流す時もある。すべてを捨てて主に従ってきたけれども燃え尽きてしまい、もう主に従う元気も全く失ってエリヤのようにうつになってしまう時もある。 しかし、今日の聖書が私たちに伝えていることは「あなたはイエス様をあきらめたとしてもイエス様はあなたをあきらめてはいない。あなたはイエス様に対して不誠実、不忠実であったとしてもイエス様は常にあなたに真実と誠実を尽くしてきた。あなたの失敗とあなたの失望はあなたの弟子としての歩みの終わりではない。」イエス様は、あなたの中にまだ不十分であっても私を愛する愛があればそれで十分だ。もう一度私についておいで。いっしょに歩もう、共に歩こうと呼びかけて下さる。 

 イエス様がペテロに最初に呼びかけた「あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」マタイ4章19節という召命は、これから始まるのである。今まではこの召命に生きるためにペテロという器を整えてきた成長の過程に過ぎない。ペテロは主を否定する自分に出会い、初めて己の原罪を知った。彼は初めて真実の悔い改めをしたのだ。 

 人は砕かれてこそ、神の通り良き管となることが出来る。自分の誇りを失い、神の恵みにのみより頼む者に変えられてこそ、あなたに備えられた賜物と召命は神の民の間で活かされるものとなるのだ。

2024.4.28 週報原稿要旨 茅ケ崎集会