集会メッセージ
ペテロに対する主の再召命。 私たちは誰でも主に従うことに失敗をしてしまう者です。主を信じて、主を喜んで主に力いっぱい従って来たはずなのに、こんなはずではなかったと悔やまれるような辛い悲しい経験をすることもあります。ペテロと同じように、世の権…
メモ 本来、罪のないイエス様には苦しみを受ける理由はない。 イエス様が苦しみを受けられたのは、すべて罪あるゆえに私たちが受けなければならない苦しみ、また悪の力によって私たちが受けざる負えない苦しみの身代わりとして受けて下さったことを信じる。 …
「手を伸ばしなさい。」マルコ3章5節 マルコはイエス様が十字架刑に処せられることになったその最大のきっかけとなった出来事を伝えた。 それは、安息日律法に関して、パリサイ人たちを公然と批判し、安息日にしてはいけないと決めていたことを公然と破った…
礼拝の言い表しと礼拝の豊かさ。 『みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。』これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。ローマ人への手紙10章9節 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにお…
不思議なこと。 2023年は主日の礼拝で始まり主日の礼拝で終わることができました。 神の民にとって礼拝に始まり礼拝に終わることのできる一年であったとはなんと恵みに満ちた一年であったことでしょうか。 一つ皆様にお尋ねしますが、今年の1月1日に、今年中…
祈り 主イエス様、あなたが私の救いとなってくださった日から多くの月日をあなたと共に過ごして参りました。 ふつつかなしもべですが、あなたは私を見捨てず見放さず、あきらめず、 私の主、私の良き牧者でいて下さるこの絶大な恵みを 今日のクリスマスの日…
旧約聖書が預言しているイスラエルの国はイエスキリストが王となってもはや戦いの無い平和な国であり、今あるイスラエルは聖書の預言の成就ではありません。 (1948年のイスラエルの建国は聖書の預言の成就ではありません。しかし、政治的イスラエルの建…
キリスト教信仰の中核は、イエス様の十字架。 十字架にあるのはみじめさの極み。 ヒーローになれなかった神。 自分を最後まで救わなかった神。 人が人であるのは皆が自分の生きている意味を問うことができるところにあると思います。 物事が順調に進んでいる…
人の子は安息日にも主です。マルコ2章28節 イエス様は律法の終焉と神の国の完成である安息の到来について告げる。 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる…
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。マタイ5章6節 バプテスマのヨハネの生き方 1.聖書におけるバプテスマのヨハネの役割 律法から福音への架け橋となった旧約聖書最後の預言者。人々がイエス様を救い主として受け入れるための…
ヨハネによる福音書20章11節から18節 『なぜ泣いているのですか』 ヨハネによる福音書では、復活の主に最初に出会う特権を与えられた女性としてマグダラのマリヤを登場させます。 マグダラのマリヤはかつてイエス様から7つの悪霊を追い出してもらった女性で…
3 御霊によって荒野に追いやられる マルコ1章9節から13節 イエス様の宣教の始まりを学ぶと共に私たちのクリスチャン生活の始まり、いわばイエス様の証人としての生活の始まりを重ねて学んでゆきたいと思います。 待ちに待った救い主イエス様の宣教の始まり…
2.バプテスマのヨハネ 1章2節から8節 『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』2,3節 バプテスマのヨハネはどのような人物であったのでしょうか。…
マルコによる福音書 神の子イエス・キリストの福音のはじめ マルコによる福音書1章1節 1マルコについて 1.マルコはバルナバのいとこ(コロサイ4:10)で、ペテロの弟子でありました。 マルコは直接、イエス様の使徒には選ばれませんでした。 しかし、後に…
愛はすべてのそむきの罪をおおう。箴言10章12節 ある兄弟の人生の証を聞かせていただき、兄弟の人生だけでなく、兄弟の家族全体をイエス様の愛が覆って下さっていることを知ることができました。 家族がボロボロになり、バラバラになるような危機の連続の中…
エルサレム中の人々もユダヤ人の王として、ローマの圧制から救うことのできる救い主を求め、期待し待ち望んでいる中、 父なる神様は憐み深く、誰よりも先に、ヨセフとマリアにはイエス様の誕生の意味をはっきりと伝えてくれました。 それは、イエス様はご自…
クリスマスおめでとう。 私たちは神様に愛されるために造られました。 神様は、造られた人をエデンの園に住まわせ、 人との愛の交わりを楽しんでいました。 ところが人は神の戒めを破り人の中に罪が入り込み、 エデンの園から追放されてしまいました。、 人…
私たちの目が開かれる時。 今日もイエス様の御手よりパンと葡萄酒を頂きました。 パンを頂くとき、私たちの心の目が開かれイエス様が生きておられ、ともにおられることが分かるのです。イエス様は私たちに心の目を開くためにもパンを私たちに与えられるので…
神の家族、敵意は十字架によって葬り去られました。 1.教会は神の家族 教会はキリストの体ですと1章23節に記してありました。2章ではもっと親しみやすい言葉で教会とは何であるかを言い表しています。それは、教会とは神の家族のことですよと。今は家族と…
使徒たちは何を伝えたのか。 それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。Ⅰコリント1章21節 使徒10章38節から48節 前書き私は救いを受けたのち、心の中は喜びに満たされ、この喜びをいかにして他の…
だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。ヨハネ7章37節 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、 神よ。わたしのたましいはあなたを慕いあえぎます。 私のたましいは、神を、生ける神を求めて、渇いています。詩篇42篇1,2節 1.だれでも渇いて…
『ところであなたは何と言われますか』ヨハネ8章5節。 1.私たちの罪過を責め立てる声が三つあります。 一つは世間の声。世間は他人の噂話が好きで、自身の悪は棚の上に置きながら、他人の小さな過ちを見つけては言い広めて人を貶める事を喜びます。 一つは…
恐れないでただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。ルカ8章50節 今日の主題は、前回と同じく復活の信仰、すなわち『彼は望みえない時に望みを抱いて信じた』ローマ4章18節にあるアブラハムの信仰です。二人の信仰の共通点はどこにあるのでしょうか。ヤイ…
神の奇跡の板切れ。 パウロがクレタ島からローマに向かう航海はどこかで私たち一人ひとりの人生の航海を表しているかのようです。 4節:向かい風なので 7節:風のためにそれ以上進むことが出来ず、 9節;もう航海は危険であったので、 と航海の初めからパウ…
和解の捧げ物レビ記3章。 『そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。』ローマ5章11節 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではな…
『焼き尽くす捧げものと神の義』レビ記1章 これが焼き尽くす捧げ物であり、燃やして主にささげる宥めの香りである。 レビ記1章9節 1レビ記における会見の幕屋の中にある祭壇は十字架を表しています。 2レビ記の1章に示されている焼き尽くす捧げものは、人…
レビ記に記されているいけにえと主の十字架。 1:罪過のためのいけにえ:5章 生まれたのちに犯した数々の罪と罪過のきよめのために 御自身を捧げられたキリストの姿。 一人ひとりの罪人として十字架にかかられた。 2:罪のためのいけに:4章 人が生まれる…
『かの日、主が来られるとき、主はご自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられるのです。』Ⅱテサロニケ1章10節 ラザロをよみがえらせたイエス様がエルサレムに来られることを知った群衆はイエス様をイスラエルの王…
苦難のしもべ 「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし、彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみず…
www.youtube.com 『エペソ』とは愛されている者という意味があるそうです。 このエペソ人への手紙という宛名そのものがまさしくこの手紙が記された目的を言い表していると言えます。すなわち、私たちは神に愛されるために生まれた。 エペソは商業都市として…