主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

マルコによる福音書

「手を伸ばしなさい。」マルコ3章5節

「手を伸ばしなさい。」マルコ3章5節 マルコはイエス様が十字架刑に処せられることになったその最大のきっかけとなった出来事を伝えた。 それは、安息日律法に関して、パリサイ人たちを公然と批判し、安息日にしてはいけないと決めていたことを公然と破った…

安息日は人間のために設けられたのです。マルコ2章27節

人の子は安息日にも主です。マルコ2章28節 イエス様は律法の終焉と神の国の完成である安息の到来について告げる。 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる…

誰に仕えるか。主人を持つという生き方。マルコ2章14節

イエス様についていくとはイエス様ご自身を目的にするということです。 イエス様の働きをするということではありません。 どんな働きをするかどうかはイエス様についていく中で導かれていくものです。 イエス様は道を歩いている中、大勢に人を見かけたはずで…

荒野で叫ぶ者の声がする。マルコによる福音書1章2節から8節

義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。マタイ5章6節 バプテスマのヨハネの生き方 1.聖書におけるバプテスマのヨハネの役割 律法から福音への架け橋となった旧約聖書最後の預言者。人々がイエス様を救い主として受け入れるための…

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節(新改訳) 1.この御言葉はキリスト教の本質を言い表すとても重要な言葉です。 天地が造られる前にすでに神は居て、神は愛という本質をお持ちであるがゆえに愛する対象として人を創造されました。 人は、や…

子よ、あなたの罪は赦されました。マルコ2章5節

人は神に愛されるために生まれた。 人は神に愛されるという神様の目的(本質)があって、神に創造された(人の形という実存が創造された)本質→実存。 サルトルの言う実存主義(実存は本質に先立つ)とは真逆になります。 引用しますが、 人間の本質?ではこ…

イエスはみことばを話しておられた。マルコ2章2節

み言葉を語るときに。 どこにいっても、イエス様のそばには人々が集まってくる。 多くの人が集まったため、・・このイメージを心に焼き付けたい。すなわち、そこに人々が吸い寄せられるようにどこからともなく集められる景色を心に描くことが大切だ。 私も、…

さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、 マルコ1章40節

みんながあなたを探しております(マルコ1章35節から42節) 旧約聖書の時代から重い皮膚病を患った人は、人里離れたところで過ごさなければならなかった。 だれかが寄ってきたならば「わたしは汚れた者です」と自ら叫び、人を遠ざけなければならない。 …

イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。マルコによる福音書1章35節

祈られるイエス様 イエス様は一日の宣教の始まりに、朝早くまだ暗いうちに起きてただ一人で父なる神に祈っておられました。 私はここでイエス様が初めて人としての模範を弟子たちに表されたことに気が付きました。 今まで弟子たちの前で表されたイエス様の姿…

それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。マルコ1章21節

権威のある、新しい教え。マルコ1章27節。 イエス様は宣教を始めるにあたり、弟子を集められました。それは、イエス様の昇天後、イエス様の福音を全世界に宣べ伝える器を必要とされていたからです。イエス様は弟子を集め教育し訓練されました。弟子たちはイ…

神の子イエス・キリストの福音のはじめ。マルコによる福音書1章1節

マルコについて 1.マルコは直接、イエス様の使徒ではなく、ペテロの弟子となり、ペテロから直接イエス様の生涯について話を聞かされ福音書を記しました。 14章50,51節には『ある青年が、~~すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた』とあり、こ…

わたしはかがんでその方のくつのひもを解く値打ちもありません。マルコ1章7節

洗礼者ヨハネ。マルコ福音書1章2-8節1 洗礼者ヨハネは、旧約聖書の最後の預言者とも言われ、エルサレムに暮らす宗教家たちのように外面だけ宗教儀式を守ればよいというのではなく、心の内側から律法に従うことを説いていました。 ヨハネ自身がなによりも義に…

ヨハネからバプテスマをお受けになった。マルコ1章9節

洗礼と共に始まったイエス様の宣教。マルコ1章9-15節 1.イエス様は常に神と共に歩まれていたので、罪を悔い改める必要はありませんでしたが、自ら遜り、罪人の受けるべき模範として洗礼を受けられました。 洗礼の目的は聖霊を受けることにあります。 公に…

私についてきなさい。マルコ1章17節。

1.ペテロがイエス様の弟子となった原体験がここに記してある。ガリラヤの漁師に過ぎなかったペテロにイエス様が目を留め『わたしについてきなさい』と直接招いて下さった。このことはペテロにとって主の弟子として歩む出発点となり、土台となり、生涯を導…

そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。・野の獣とともにおられたが、マルコ1章12、13節

3 御霊によって荒野に追いやられる マルコ1章9節から13節 イエス様の宣教の始まりを学ぶと共に私たちのクリスチャン生活の始まり、いわばイエス様の証人としての生活の始まりを重ねて学んでゆきたいと思います。 待ちに待った救い主イエス様の宣教の始まり…

『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』マルコ1章2,3節

2.バプテスマのヨハネ 1章2節から8節 『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』2,3節 バプテスマのヨハネはどのような人物であったのでしょうか。…

神の子イエス・キリストの福音のはじめ マルコによる福音書1章1節

マルコによる福音書 神の子イエス・キリストの福音のはじめ マルコによる福音書1章1節 1マルコについて 1.マルコはバルナバのいとこ(コロサイ4:10)で、ペテロの弟子でありました。 マルコは直接、イエス様の使徒には選ばれませんでした。 しかし、後に…

人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あながたに知らせるために。マルコ2章10節。

『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あながたに知らせるために。』マルコ2章10節。 『子よ、あなたの罪は赦された』と宣言することも 『起きて、寝床をたたんで歩け』と命じ、そのことを成就させることはどちらも真の神にしかできないことです…

ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。マルコ16章4節

墓の入口からあの石を転がしてくれる人が、だれかいるでしょうか。マルコ16章3節 主よ。あなたにはお出来になります。 私にとっての今年のイースターの御言葉は表題に掲げた『目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった…

マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められるところをよく見ていた。マルコ15章47節

主イエス様、あなたの葬りについて教えてください。 1.イエス様の葬り 使徒信条に死にて葬られという告白があります。 三日目に死人の内よりよみがえる前に、葬られたと告白しています。 イエス様の女の弟子たちは十字架の上で苦しみを受け、目をそむけた…

彼らは、イエスを十字架につけた。マルコ15章24節。

人の罪 群衆もはじめはイエス様がメシヤではないかと期待していた。奇跡の御業、その恵みの言葉、権威ある言葉に期待していた。はじめは期待して待っていたが、自分たちの期待通りに事を進めてくれないことに気が付き始める。 ついに、ユダヤ人の王としてロ…

わたしについてきなさい。マルコ1章17節

人は『ついてきなさい』と言われて誰にでもついていくわけではありません。まして、仕事も家族も捨ててまでついていきたいと思うことは余程のことであります。 ペテロ達、ヨハネ達はなぜイエス様についていこうと決心したのでしょうか。 ガリラヤ湖のほとり…

隠れていることのできない神様   マルコ7章24節

イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。 家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、 隠れていることはできなかった。マルコ7:24 イエス様は、まことの救いを探し求めている者に対して隠れていることのできない神様です。 イエス様…

あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。マルコ7:8

7章から、イエス様と律法学者、パリサイ人たちとの論争が始まります。 イエス様は、神様が人の姿をとられた方ですから、神様の御心をあますところなくご存じです。 神様は、イエス様の姿をとって来られる前には、預言者やそして律法を通してご自分の御心を人…

主があなたに、どんなに大きなことをして下さったか、どんなにあわれんで下さったかを、知らせなさい。マルコ5章19節。

みなさん、わたしが誰であるかわかりますか? わたしは、あの墓場で昼夜と叫び続けていた狂人です。 どうか、わたしの話を聞いてください。 私は、いつもの通り、 一人ぼっち、湖を眺めていると、 ある日の夕方、私は、湖の反対岸から、一艘の小舟が向かって…

人間が安息日のために造られたのではありません。マルコ2:27

常に主にとどまっているように。使徒11:23 安息日は人間のために設けられたのです。 安息日について考えてみましょう。 人のはじめであるアダムとイブは、自分たちが憩うためのエデンの園を自分たちの手で造り上げたのではありませんでした。神様が彼ら…

それから、イエスは。彼の家で食卓に着かれた。マルコ2:15

「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ちあがって従った。 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。 マルコによる福音書2章14,15節 【イエス様とともに食事をする】 イエス様は罪人の友として、罪人を招きましたが、 イエス様の…

人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。マルコ2:10

イエス様は人の罪を赦すことのできる唯一の御方です。 イエス様の他には人の罪を赦すことのできる神はいません。 今日の御言葉の中で、このイエス様はすでに十字架につかれる前にすでに人の罪を赦すことのできる神であったことに心を向けたいと思います。 イ…

気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。マルコ1:44

ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。マルコ1章45節 信仰生活の中での証しの表し方について、ここにもう一つ大切なメッセージがあります。 イエス様に自分のらい病を癒してほしいと願う彼の心は真実でしたが、 かれは、癒され…

人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。マルコ1章30節

ペテロはすべてを捨ててイエス様に従って歩き始めました。 けれども、それは、従ったからペテロの抱えている問題がなくなったことを意味するのではなく、 イエス様と歩き始めることによってペテロの抱えている問題がイエス様によって取り扱い始められたこと…