主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

人の助けを必要とされたイエス様。

彼らは、イエスを引いていく途中、
いなかから出てきたシモンというクレネ人をつかまえ、
この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。 
 ルカ23章26節
エス様、わたしは今日はじめてあなたが人間の助けを必要とされた光景を見た気がし、
心の中に驚きが溢れています。
エス様は、人の姿を取られて歩まれましたが、いつも、私たちを助けて下さる主なる方でした。
弱ったものに声をかけ、励まし、慰め、また奇跡を起こされ、
もちろん、罪人に寄り添われましたが、それもいつもあなたが主体となって近づいてきてくれる主でした。
嵐を沈め、弟子たちを諭し、律法学者たちの偽善を指摘し、
そしてエルサレムに向かわれるときもあなたは力強い主でした。
あなたは一度だけ、女に水を飲ましてほしいといわれたことがありましたが、その時も、あなたは主でした。
しかし、
ゴルゴダに向かわれる途上のあなたは、
ほんとうに傷つき、弱弱しく、見る影もなく、自分の力で立つこともできないくらいに弱り果てておられます。
 
シモンに十字架の横木を代わりに担ってもらわなければならないほど弱り果てているあなたのお姿を見たのは初めてです。
あなたが、人の助けを必要とされることがあったとは。
私は、いつもあなたに助けられていました。私はいつもあなたに助けられる側であり、
あなたがいつもわたしの罪、弱さ、汚れ、誘惑、死などを引き受けて下さる側にありました。
 
なのに、今日のあなたは、
人の助けを必要とされています。
 
『わたしを助けて欲しい』
主よ、私になにか、あなたをお助けするようなことがあるのでしょうか。
罪人の私に、神であるあなたを助けるというようなことがあるのでしょうか。
『私を助けて欲しい。私を支えて欲しい。弱り果てた私には、あなたの助けが必要だ。』
『弱り果てた私のために、十字架の横木を担って、私と一緒にゴルゴダの丘までついてきてもらえないだろうか。』