【対価を要求しない心】
あわれみなど掛けられたくない、と思えるほど、まだ、しっかりしている人は、無理にあわれまれる必要はないし、逆にその人の尊厳も傷ついてしまうかもしれない。
だから、あわれみというのは、だれもがのぞむものではないのだろう。
だから、あわれみというのは、だれもがのぞむものではないのだろう。
でも、もう一方で、あわれんでもらえたことを心から感謝できる人もいる。
すべてを失ってしまったときに、一杯の水、食物の糧を用意してもらえることがどれだけ嬉しいことか。
すべてを失ってしまったときに、一杯の水、食物の糧を用意してもらえることがどれだけ嬉しいことか。
あわれみを施すということは、最後に人の尊厳を支える大切な働き。