主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

主に責められて弱り果ててはならない。 ヘブル12:5

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。

少し、前まではヘブル書の言葉は私には厳しく響きすぎて目を通す気がしませんでした。
走り続けようとか、聖さを求めなさいとか・・
私には、励ましの言葉はきつすぎました。

うつの時は励ましは禁物といいます。
それは、周りが思う以上に、本人の中での自己イメージが傷ついていて、
周りの励ましに応じるだけの自己の意志を興すエネルギーが出てこないのです。

そして、分っているけれど、周りの言う事を自分もしたいけれど、心のエネルギーが
追いついていかない自分にまた落ち込んでしまうのです。

なので、
主に責められている人に、
他の人がこれらの言葉を引用して励まそうとすることには
慎重であっていいと思います。

責められている最中に必要なのはなによりも恵みの御言葉です。
こんな何も価値の無い自分でもよいのだと
どん底にいるままの自分を“よし”と肯定してくれる
恵みの御言葉です。

しかし、
なによりも、
私たちが不可解な鞭と懲らしめを受けているときに、
それは、
神様の裁きではなく、神様の愛の表れであることを今日の御言葉は
私たちに教えて下さり、弱り果てていた自分をどん底で支えてくれるのです。