主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。イザヤ56:8

キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。 ローマ8:11
今日、疲れを覚えて、夕方から床で休んでいた。
年末から休まず、元日まで動いていた昨年の疲れが出てきたのかと思った。
普段は一時間も横になっていれば疲れも取れ、動き出せるのだが、2,3時間寝ていてもまだ回復しない。
ふと、疲れているのだから、『疲れた人は私のもとに来なさい』とおっしゃるイエス様のところへ行こうと思った。床に臥しながら、心の中で、『イエス様、私は疲れています。疲れをあなたのもとへ持ってゆきます。』と告白を始めた。
エス様のもとへ幾度か疲れを持ってゆく中で、少しづつ疲れが軽くなってきたことを感じ始めた。
より、告白する元気が出てきたので、
昨年間、仕事などで疲れを覚えたことを一つ一つ主のもとへ持ってゆくことにした。
さらに、疲れが抜けてきて、代わりに、萎れていた私の魂の内に命の感覚が取り戻されt来た。
仰向けのまま動く元気が無かったのが、うつぶせになって、何とか祈りの姿勢をとることができるようになった。

一年分の疲れを告白できたので、祈りの霊に促されて、昨年の起きた出来事の一つ一つの感謝の告白を主に捧げ始めた。

感謝を十分に捧げると、また祈りの霊に促されて、イエス様の血による赦しの祈りを捧げ始めた。
私の昨年、肉に負け、自我に負けた数々の罪を告白する機会が与えられた。
私だけでなく、私の家系の罪を告白し、私の家系が清められるようにと祈らされた。

その後、さらに祈りの霊に動かされて、執り成しの祈りを捧げるように促された。
教会の人々・職場の人々・昨年関わった人々。。

その後、さらに祈りの霊は、私に今年も関わる人々・職に関して期待と祝福を願う祈りを捧げるように促された。

身体にも命が満たされてきたので、寝床に臥していた私は正座することができるようになった。

その後、さらに祈りの霊は、私に、神の右に座しておられる主をほめたたえるようにと促された。
私は、神の右の座に座っておられる主を見上げながら、両手を挙げて主をほめたたえた。

その後、さらに祈りの霊は、私に、主の御前に臥し、礼拝を捧げるように促された。
私は、ひざをかがめ、身を臥し、主に礼拝を捧げた。

その後、主の霊は、今日あった出来事を、プログに記すように促された。

私は、今年になってから、まだ、主に対して、一対一で礼拝を捧げるときを持っていなかった。
そのため、主は、私を萎えさせ、それから、再び主と交わるようにと時間を取ってくださったのだと気がついた。
私が生きているのは、主の御霊によるのであって、私には、自分で自分の命を支える力はもうない。
主の命に生かされていることを忘れないようにと、主は今日教えてくださった。感謝。