主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。マルコ16:7

あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを探しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。マルコ16:6

前に言われたとおり、そこでお会いできます。            マルコ16:7
エス様は、先に行って待っていてくださる。
エス様と楽しく過ごした、あのガリラヤ。イエス様のお話を楽しく聞き、
エス様の奇跡に驚き、イエス様と共に歩くことを喜びと誇りとしていたあのガリラヤへ。

エス様の十字架の姿はあまりにも悲惨であった。弟子たちの心は、十字架の前後のあまりにも激しい暗闇の力に、心は凍り付いてしまっていた。恐怖・不安。イエス様と共に歩んだ楽しい日々を思い出すのは、困難な状態であった。
復活の朝、暗闇が去り、静けさが、しかし、主のいらっしゃらない、虚無と共に、
いくらか心を取り戻した女たちは、
エス様の十字架と共に、ずたずたに引き裂かれてしまった心を癒すために、死んだイエス様のからだに油を塗ろうと考えた。それは、引き裂かれた心の少しでもの慰めになればと。


あの、大きく傷ついた私の経験は一体なんだったのか。
その時、私が傷ついていた時、イエス様は、私と共に十字架に向かって歩んでくださっていたのだ。
そして、イエス様が傷ついた姿で葬られたとき、私も傷ついたまま、イエス様と共に葬られたのだった。

しかし、私は、その事に気がつかなかった。
だから、
私の心の中に、あのときの大きな傷だけが残されていた。それは、大きな石で封印されているような、
もう、だれも、あの石を取り除けることはできないと自分で決心してしまったあの大きな石。

傷ついた姿を大きな石で封印し、もう見ないようにと、過ぎ去ったことと、忘れようとした。

ただ、せめて、慰めになればと、傷ついた姿を幾度も思いながら、傷に油を塗ろうとし、
その油で幾らかでも癒されればとする人の行いがあった。

けれど、勇気を出して、
そして、信じて、
あの墓の中に眠っている傷ついた姿はどうなったかと、近づいてみれば、
そこには、もう傷ついた過去の姿はなくなっていた。

私が、まだ、自分は傷ついて横たわっていると信じていたのは、幻想だったのだ。

エス様は、よみがえられた。
エス様が私と共に、十字架についてくださったのならば、
私もイエス様と共にも十字架についたのならば、

エス様は、私と共に、よみがえり、
私もイエス様と共に、よみがえったのだ。

墓の中に、傷を負ったわたしの姿はもう無い。
新しい命に満たされた、新しい私が立っているだけだ。

それだけではない、
エス様は言われた「あなたがたより先にガリラヤへ行って待っている」。
過去に縛られ、傷に縛られ、
新しく前を見ることに臆病になってしまった私にイエス様は呼びかけてくれる。

ガリラヤに来なさい。そこで、私と共に楽しく過ごした祝福の日々を思い出そう。
ガリラヤで、新しい生活をあなたに与えようと私は先に行って待っていると。

さあ、一緒に行きましょう。
感謝。