主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

思い切って全焼のいけにえをささげたのです。Ⅰサムエル13:12

この聖書箇所を読むと、迷っている時、決断しきれない時に、「思い切って」行動することや、どちらかを自ら選ぶということが、信仰の決断であるかのように、自分も行動していた愚かな自分を思い出します。
待つことができず、自分の判断で歩んできました。一番、ギリギリのにっちもさっちもいかず、敵が迫りくる危機的状況で、なんとかこの状況を打開したいと焦り、もう少し忍耐して主を待てばよいところを待てて来なかった自分を思い出すのです。
主は、憐れみの中でこんな自分の行いさえも、よきに変えて下さり主の道を備えていて下さいましたが、
それでも、振り返ると私の中で、苦い経験として残されていることを見ます。
 
今は、以前よりは、主を待てるようになったのでしょうか?
それとも、本当は決断しなくてはならないような状況を、恐れや、怠惰な心によって延期してしまっているのでしょうか。
人は、いつになっても忍耐のない者だと思います。
しかし、私が性急に答えを出さなくても、日々、主に委ねて待ち望んでいれば
主は私の心も周囲の環境もすべてよきに働き、道を整えて、開いて下さることを信じましょう。