主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

隠れていることのできない神様   マルコ7章24節

エスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。                                         家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、 隠れていることはできなかった。マルコ7:24
エス様は、まことの救いを探し求めている者に対して隠れていることのできない神様です。
エス様が失われた者を探し出し、救う出すために来られたので、イエス様を求める者に対して、ご自分を現されるのです。
 
カナンの女は、母親として娘が悪霊に捕らわれ苦しんでいるのを見た時、どうしても娘を助けたいと心から願い始めました。はじめ女は、ツロ・フェニキアにある地方の神々に救いを求めに行ったことでしょう。しかし、悪霊が悪霊を追い出すことはできず、かえって、状態は悪くなり、女は神々に対しての無力感、失望を味わったことでしょう。
女は、娘を助けたい一心で、本当の救いはどこにあるのか、本当に娘を救うことのできるまことの神はどこにおられるのかと、偶像に対する失望感を味わった後に、女の心は、真実を求めるよう心が開かれていったのです。
その時、女は、遠い、ユダヤ人の地のガリラヤにイエスという若いユダヤ人指導者がいたことを思い出したのでした。
今までは、まったく自分の人生と関係のなかったイエスという名前が、娘の危機を通して、彼女の人生の中で意味を持ち始めたのです。
彼女は、イエス様が、どのような人であるのかに関心を持ち始めました。そして、噂にきく中で、イエス様が人々から悪霊を追い出し、病人を癒し、神の業を行っている人であることを知るようになったのです。
 
彼女は、その噂を聞き、自分の娘と関連づけ、この方なら娘を苦しみから救って下さるに違いないと希望を抱き始めました。
 
そして、何としてもイエス様に会って娘を救ってくださるようにお願いしたいと心に決心したのです。
おそらく、この女は、自らガリラヤまで旅をしてでも娘のために、イエス様を探し求めようとしたことでしょう。
 
しかし、その必要はありませんでした。神様は全能なる御方です。女の必要をすでに知っており、自ら、彼女の住む異邦人の地、ツロ・フェニキアにまでご自身を遣わしたのでした。
 
エス様は、真に救いを求める者に対して隠れていることのできない御方です。
 
私たちの人生の危機は、イエス様に出会う時につながります。