主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

高慢な者は、低くされ、主おひとりだけが高められる。イザヤ2章17節

主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。                  イザヤ2章4節

主イエス様。今の政府の議員たちの傲慢さは目に余ります。国を動かすのは自分たち政治家であると豪語して止みません。憲法学者たちの声にも耳を傾けず、いのちを愛する国民の声にも耳を傾けず、自分たちの建てた偶像礼拝に邁進しています。国を治めるのは、政治家でなく、主イエス様ご自身です。この国の主権は、十字架にかけられよみがえられたナザレ人イエス・キリストにあります。しかし、彼らには、そのような十字架は愚かな出来事に過ぎません。しかし、主よ、確かに人をさばく方はあなたしかおらず、彼らの愚かさは、主の目の前には明らかなことです。
旧約聖書の預言はやがて成就します。何千年もの間の歴史の文脈に聖書のことばは耐えてきました。日本はたかが、1世代、70年間というわずかな時の中で、国の方向をまた変えようとしています。
しかし、主はすべてのことをよくご存じです。やがて、主の民は、イザヤの預言もことごとく成就することを身をもって体験し、主への賛美となることでしょう。

しかし、私たちはただ傍観者であってよいのではありません。主がこの国の主であるなら、主の民である私たちは、主の主権をもってこの国を治めていかなければなりません。では、何をもって声を上げていけばよいのでしょうか。どのような力を行使することが許されているのでしょうか。それは、祈りです。
今日の切迫した時が迫る中、私たちは祈りの手を上げて、御心がこの国にもなるように祈ろうではありませんか。