【イエス様が何と言われるかに耳を傾けることが大事。】
イエス様の話されることばは、なんと憐れみに満ち、赦しと愛に満ちているのであろう。今まで、はっきりと分からなかった神様の愛の姿、律法の意味、が手にとるように伝わり、聞く人々の心の中に浸みわたっていく。
平安に包まれた人々の前に、にわかに騒々しい物音がし、姦淫の現場でとらえられた女が連れ出されてきた。
騒々しいのは、この女性ではなく、この女を連れてきた律法学者、パリサイ人たちと彼らの仲間たちだ。
彼らの心は荒々しく、高ぶりに満ちており、今まで、イエス様の周りにいた民衆とは全く違っていた。
彼らは、この女を出しにし、イエス様を陥れようとねらっていた。
この女も、自分が律法により罪に定められ、石打ちにされる死の恐怖におびえ、人々の前に自分の罪がさらけ出されている恥ずかしさに、身の置き所がなかった。
イエス様は言われた『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。』
イエス様は言われた『わたしもあなたを罪に定めない』
一瞬の静けさ、イエス様が言われたことのまことに人々は自分のことばを失った。
しばらくしてから人々は、みなイエス様のことばに相槌を打った。そうだ、そのとおりだ。
律法学者たちも、イエス様のことばはあまりにも正しいので、何も言い返すことができなかった。
律法学者たちでさえ、イエス様のことばに納得してしまった。
イエス様は正しいことを話された。
罪のない人は一人もいない。
罪のない人だけが、人の罪をさばくことができる。
そうして、わたしもあなたを罪に定めない。
イエス様が何と言われるか?
自分をさばく人々に取り囲まれる時、
イエス様のことばにだけ耳を傾ければいい。
教会の中であなたをさばく声が聞こえる。
あいつは、こんな罪を犯している。そのことを知っているか?
いつ、自分の罪が明らかにされるかおびえている人がいるかもしれない。
わたしには隠しもった罪がある。イエス様がこの罪をご存知なら、私は裁かれるのではないか?
自分の犯した過ちに罪責感を抱き続けている人がいる。私の過去の過ちは赦されない、赦されたくない。。
私は家族、子どもたちに、愛する人にこんなおおきな過ちをしてしまったのだから。。。
いろいろな声が聞こえてくる。
けれども、そんなとき、イエス様は何と言っていますか?
わたしはだれをもさばきません。ヨハネ8章15節
わたしもあなたを罪に定めません。ヨハネ8章11節