【働き者のマタイ】
若い人へ。
すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
・イエス様は人を外見では見られない。 |
・マタイの素質と才能を見抜いた。 |
・世の仕事も熱心にしている人は、神の働きにおいても用いられてゆく。 |
・イエス様に呼ばれる前にしていた仕事が活かされていく。 |
若い人へ。
イエス様に呼ばれたマタイは収税所で、取税人として働いていました。
世間においてさげすまれていたかもしれませんが、彼はそんな目に痛みを感じながらも、
自分の生活のために一生懸命仕事をしていたと思います。
こんなマタイをじっくりと見て、イエス様は彼を弟子にしました。
イエス様は、神のご計画の中で、このマタイが、後世に福音書を残すという使命を担える才能があることを見抜いていたと思います。
そしてマタイは、イエス様に従い、そして、のちにこのマタイによる福音書を記しました(聖書学的な評価は別)
世間においてさげすまれていたかもしれませんが、彼はそんな目に痛みを感じながらも、
自分の生活のために一生懸命仕事をしていたと思います。
こんなマタイをじっくりと見て、イエス様は彼を弟子にしました。
イエス様は、神のご計画の中で、このマタイが、後世に福音書を残すという使命を担える才能があることを見抜いていたと思います。
そしてマタイは、イエス様に従い、そして、のちにこのマタイによる福音書を記しました(聖書学的な評価は別)
何をいいたいかというと、イエス様の弟子となった人は、高校を出てから神学校に行き、聖書を学んで弟子となったわけではないのです。みな、自分の仕事を持ち、一生懸命に働いていた。
イエス様の召しというは、神学校へいくかどうかという選択ではないような気がします。
それよりも、まず、生活してゆくために、自分のできることを通してしっかりと働くこと。
イエス様は、そんな仕事熱心な若者をいつもじっくり気がつかないところでご覧になっているはずです。
それよりも、まず、生活してゆくために、自分のできることを通してしっかりと働くこと。
イエス様は、そんな仕事熱心な若者をいつもじっくり気がつかないところでご覧になっているはずです。
直接宣教、神学校への献身などということばに憧れるかもしれませんが、
まず、この世で自分は社会にどのような手段を持って貢献できるのかを良く考えましょう。
まず、この世で自分は社会にどのような手段を持って貢献できるのかを良く考えましょう。
社会で生かしてきた手段が、イエス様の弟子としても用いられてゆくのです。