主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

収税所に座っているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。マタイ9:9

【働き者のマタイ】
すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
・イエス様は人を外見では見られない。
・マタイの素質と才能を見抜いた。
・世の仕事も熱心にしている人は、神の働きにおいても用いられてゆく。
・イエス様に呼ばれる前にしていた仕事が活かされていく。

若い人へ。

エス様に呼ばれたマタイは収税所で、取税人として働いていました。
世間においてさげすまれていたかもしれませんが、彼はそんな目に痛みを感じながらも、
自分の生活のために一生懸命仕事をしていたと思います。
こんなマタイをじっくりと見て、イエス様は彼を弟子にしました。
エス様は、神のご計画の中で、このマタイが、後世に福音書を残すという使命を担える才能があることを見抜いていたと思います。
そしてマタイは、イエス様に従い、そして、のちにこのマタイによる福音書を記しました(聖書学的な評価は別)

ペテロもヤコブヨハネもみないろいろな仕事をしていた生活者でした。

何をいいたいかというと、イエス様の弟子となった人は、高校を出てから神学校に行き、聖書を学んで弟子となったわけではないのです。みな、自分の仕事を持ち、一生懸命に働いていた。

エス様の召しというは、神学校へいくかどうかという選択ではないような気がします。
それよりも、まず、生活してゆくために、自分のできることを通してしっかりと働くこと。
エス様は、そんな仕事熱心な若者をいつもじっくり気がつかないところでご覧になっているはずです。

直接宣教、神学校への献身などということばに憧れるかもしれませんが、
まず、この世で自分は社会にどのような手段を持って貢献できるのかを良く考えましょう。

社会で生かしてきた手段が、イエス様の弟子としても用いられてゆくのです。