主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。マタイ10:38

【和解の十字架を負う】

また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。エペソ2:16

エス様の十字架は、和解の十字架です。
離れ離れになっていたものを一つに集め、
切り離されていたものを結び合わし、
敵対していたものを仲良くさせる十字架です。

エス様についてゆくということは、家族を断絶させることではありません。
家族の中で、一人の人がキリスト者となるとき、
その家族、家庭の中に平和がもたらされてゆくのです。
家族が私の信仰を理解してくれないと家族のせいにするのではなく、
理解しない家族の心情をキリスト者となった者が理解できるようになってゆくのです。

争いが絶えない家族の中に、もういられないと思っていた者も、キリスト者となることで、
心の平和を戴き、争いの最中に平和をもたらすことができるように変えられるのです。

十字架とは、和解です。

まず、神と和解し、
そして、自分自身と和解し、
そして、家族、他者との和解と、和解の輪が波紋のように広がってゆくのです。

私たちは、どこまで、和解が進んでいるでしょうか?
エス様について公に活動を始めるのは、まず、自分自身ともしっかり和解していなくてはなりません。