主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、マタイ12:18

【我が僕】
私の心の喜ぶわたしの愛する者。

神様がはじめの人アダムを作られた時に、大変喜ばれました。けれども、アダムに罪が入り、神様に逆らうものとなった時に、神様は大変悲しまれました。アダムの罪のために、その後のすべての人間は罪を持つに至り、誰一人、神様を喜ばせることのできる人はいなくなりました。

そこで、神様は、決めました。ただ一人、私の心を完全に満足させる人が現れれば、それで、私は満足する。たった一人だけでよい。たとえ、万人が罪を犯す者であっても、ただ一人でも罪を犯さず、私を満足させることのできる人がいれば、すべての人を赦そうと決められたのです。

エス様は、生まれたから十字架の死に至るまで、一度も罪を犯すことのなかった、完全に従順に神様に従うことのできた唯一の人でした。そのイエス様が、自発的に自らを神様への捧げ物として十字架に向かいました。
神様は、十字架につけられたイエス様を見て、全くの罪のない、完全な聖さを持つ人が犠牲となったのを見て、完全に満足されました。ここに、完全に私の心を満足させた一人の僕がいたということを神様は見ました。

神様は、アダムの誕生以来、初めて、心から満足され、心から喜ばれました。そして、神様は、ご自分の心に決められたように、イエス様という一人の完全に神様の心を満足させる人を見たので、もう、ほかの誰の罪をも問題にされませんでした。


エス様こそ、神の僕です。