主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。マタイ12:14

つい先ほどまで、イエス様が安息日の規定を守らないことに憤慨していたパリサイ人たちは、
ついに、イエス様を滅ぼそうとまで考えるようになりました。

律法を守ることを大切にしているなら、
人を殺してはならないとか神と隣人を愛しなさいという戒めを知っているはずです。

自分の信じている宗教を守ることとイエス様(神様)の教えを守るということの違いが
このパリサイ人の思いの中にはっきりと示されていると思います。

私は、宗教心はほんとに恐ろしいものだと思います。
宗教的な教えを自分の心のよりどころとしているため、その教えをかき乱す者に対しては、
自分自身が攻撃されているかのように、心を閉ざし、さらには、憎悪の対象となっていまいます。

完全に違う性質の教えには、まだ、距離を取れますが、なんとなく似ているが違うという教えには
さらに嫌悪感が出てきます。
パリサイ人にとって、イエス様の群れは寛容なパリサイ派の一派と思われていたのです。

宗教心は決して清いものではなく、ほかの人の罪深さの一つに過ぎません。
お金や名誉を愛すると同じように宗教を愛する心から人は多くの罪を犯しているのです。
それは、殺意にさえ結びつく悪そのものです。

エス様は、パリサイ人ら自身でさえ、気がつかなかった宗教的罪を明らかにしました。
エス様が光であるがゆえに、彼らの闇が現れ、彼らは憎悪を表しました。