主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司として、 ヘブル2章17節

憐れみ深い、忠実な大祭司。ヘブル2;17

神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。第一テモテ2章5節

祭司の務めは、民の代表としていけにえをささげ、とりなしをすること。民の代表として、礼拝者として神を礼拝すること。民の代表として、神の言葉を聴き、民に証すること。そして、神の祝福を分かち合うこと。

罪の肉体を持った私たちは、他人を憐れむ心を働かせたとしても、それは、限りがあり、またどこかで必ず自己中心、自己保身の心が含まれている。

正直なところ、他の人の心の痛みに寄り添い切ることは無いし、またそのたびごとに見も知らぬ人の心の痛みに寄り添っていたならば、疲れ果ててしまう。しかし、イエス様はそうではなかった。

エス様は罪のない人としてこの地を歩まれたが、私たちが近づき難いような人としてではなかった。イエス様が肉体を持たれたのは、我々と共に傷つき、痛み、失意や恐れや混乱や迷い、苦しみを分かち合い、弱い者と共に弱くなり、無力な者と共に無力になり、私たちと同じようになられるためであった。イエス様は、私たちの弱さを完全に共有しながら、神の御前にとりなして下さった。それゆえ、私たちはイエス様を通して安心して神の御前に近づくことができる。ここにも、和解の生け贄となって下さった主の姿がある。降誕節にイエス様の憐れみ深いお姿を覚えたい。

祈り 本来、人に備わっていた憐れみの心を私たちの内にも与えて下さい。

2018.12.9 茅ヶ崎集会 メッセージ要旨