主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

両親は幼子を主に捧げるために、エルサレムに連れて行った。ルカ2章22節

さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主に捧げるために、エルサレムに連れて行った。ルカ2章22節

幼子に対する両親の務め。ルカ222 
22節には、1 モーセの律法による
2 エルサレムに連れて行った
3 主に捧げるために
と幼子を連れたヨセフとマリヤの行動について、3つのことを記しています。
前回、幼子を主の御許に連れて行くことの大切さについてお話をいたしました。
今日は、主に捧げることとモーセの律法に従って、つまり聖書に従って子供を養育することの大切さについて教えられました恵みを分かち合いたいと思います。

マリヤとヨセフは、モーセの律法に従い幼子イエスをまず主に捧げました。私たちも親の安心と喜びのためだけに主の御前に幼子を連れていくのではなく、まず幼子の全生涯を主に捧げ、神の人として育てていく決意をすることが大切かと思います。
子は親の所有ではなく、主のものであることをはっきりさせた後、再び主より授かり、大切に育てていく。たとえ、親の期待通りの人生を歩まずとも、その歩みの中に主の守りと導きがあることを信じて、祈りつつ育てていく。
私たちの手元にある聖書は、子を神の人として十分に整えるに足る書物であり、世の過ちから子供達を守るに最高の教科書です。幼いときから、聖書を読み聞かせ、教会に連れて行き、神の人として整えられるように聖なる願いをもって、祈りつつ育てていくこと。
祝福式にこのようなことを再確認できれば幸いです。

2018.11.18 茅ヶ崎集会 子供祝福式 メッセージ要旨