主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。マタイ5:10

【天国はどこにありますか】
昨日、死んだ後の報いを希望できる幸いについて記しました。
けれども、まだ、信仰について、これから、学んでいこうとする人がいて、勘違いされてしまったら申し訳ないと思い、きょうは、筆を執ります。

天国は、どこにありますか?
確かに、死後の世界に安らかな主イエス様と永遠に共にいる世界をクリスチャンは信じています。
そこを、天国と言ってもいいでしょう。

では、将来の希望だけをいだいて、これまで、クリスチャンは迫害や困難、悲しみを耐えてきたのでしょうか。いいえ、それだけではありません。

キリストを信じる時に、クリスチャンは、心の内側に、神の国(天国)が始まるということを皆経験します。それは、心の内側に、喜びが与えられたり、安らかさが与えられたり、潤いが尽きないなどいろいろな表現があります。その喜びは、周囲の環境がどんなに困難であっても、尽きることの無いものなのです。

幸いな人は、一見、この世では虐げられている人、疎んじられる人です。けれども、イエス様のご性質でもある、柔和、あわれみ、義、悲しみ、平和、などを大切にする人は、すなわち、イエス様を信じる人であり、信じる人の心の内側には、イエス様が宿られます。

それゆえ、天国は、イエス様を信じる人には、死後にあるだけでなく、すでに、心の内側にあるといえるのです。

この心の内側にある天国がクリスチャンをいつも支えているのです。