主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

ご自分の肉によって、敵意を廃棄された方です。エペソ2:15

敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです


私は、自分の心の中に人を裁く心があることに気がつきます。
裁くのは、自分でこうでなければならないとかこうすることが当然だとかの、さまざまな規定が
心の中にあり、さまざまな規定による戒めが人を裁く心につながっていることを知ります。

そのさばく心が、自分の心の中心にあり、人を許すとか人を理解するとか、人と平和を保つなどということよりも優位に立っていることを知ります。
裁く心は憎しみやねたみや嫉妬や敵意を生み出していることを知ります。

親しい人、肉親や夫婦など近い関係の中ほど、このような戒めの律法が働こうとし、
せっかくの人間関係を壊してしまう元区になっていることを知ります。

エス様がご自分の肉によって敵意を廃棄されたということは、大変嬉しいことです。
エス様は平和を愛する方です。
平和は敵意からは生まれません。
しかし、人の心の中にさまざまな規定から成り立つ戒めの律法があるかぎり、
その戒めが人を裁き、敵意を生み出しています。

エス様が十字架につけられ、釘打たれ、ご自分の肉体が裂かれたことによって、敵意を廃棄してくださったということは、大変嬉しいことです。

人を憎む心、恨む心、嫉妬する心などは、人の力では取り除くことができません。
いくら自分の心を見つめても、心が綺麗になるわけではありません。

けれど、イエス様の十字架の上に、自分の心の中にある敵意の一切がイエス様の十字架と共に廃棄されてしまったことを信じて、告白するときに、不思議と心の中にあったはずの敵意は消え去っていくのです。

感謝なことです。