#宗教
7章から、イエス様と律法学者、パリサイ人たちとの論争が始まります。 イエス様は、神様が人の姿をとられた方ですから、神様の御心をあますところなくご存じです。 神様は、イエス様の姿をとって来られる前には、預言者やそして律法を通してご自分の御心を人…
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。 『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。ローマ人への手紙1章17節 義人とはだれでしょうか?義人とは、神様に義と認められる人ですが。 『…
こうしてその日、サウルと彼の三人の息子、道具持ち、それにサウルの部下たちはみな、共に死んだ。 Ⅰサムエル31:6 CGNTVのQTの学びから、今日でⅠサムエル記が終わった。初代イスラエル王のサウルの死でサムエル記は終わる。サウル王の死を学ぶ時、私たちは…
イエス様を個人的に救い主として受け入れていれば、必ず天国に行けます。 よく語られるように、コリントの教会には、分派があり、信者間での不倫もあり、社会的な身分による差別があったり、また霊の賜物を誇りあったりするなど、非常に肉肉しい群れであっ…
それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。 Ⅰペテロ2:9 兄弟姉妹と共に、礼拝を捧げるということ。ミニチャーチの始まり イエス様は、失われた者を見…
わたしと父とは一つです。 ヨハネ10:30 普段から、人を傷つけてはいけないよ、よその子をいじめてはいけないよと、諭していたにも関わらず、自分の愛する息子が、過ちを犯し、人を傷つけてしまうようなことをしまったとしたら、仮に、一時の過ちであっ…
イエス様は人の罪を赦すことのできる唯一の御方です。 イエス様の他には人の罪を赦すことのできる神はいません。 今日の御言葉の中で、このイエス様はすでに十字架につかれる前にすでに人の罪を赦すことのできる神であったことに心を向けたいと思います。 イ…
ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。マルコ1章45節 信仰生活の中での証しの表し方について、ここにもう一つ大切なメッセージがあります。 イエス様に自分のらい病を癒してほしいと願う彼の心は真実でしたが、 かれは、癒され…
ペテロはすべてを捨ててイエス様に従って歩き始めました。 けれども、それは、従ったからペテロの抱えている問題がなくなったことを意味するのではなく、 イエス様と歩き始めることによってペテロの抱えている問題がイエス様によって取り扱い始められたこと…
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネ3:17 イエス様が来られたのは、 人に対しては罪から救うために、 悪霊に対しては、彼らを滅ぼすために来られました。 イエス様が会堂に入って教えられて…
イエス様の権威を学ぶ 私たちは、マルコによる福音書から信仰生活について学んでいます。 1章の前半から、 ・人は修行や努力によっては救われないこと ・イエス様を信じて、バプテスマを受けること ・聖霊のバプテスマこそ真のバプテスマであること ・クリ…
イエス様についていくということは、神に仕えるということです。 イエス様は山上の垂訓の中で、神と富に兼ね仕えることはできないと言われました。 イエス様に自分の人生を捧げていくことの積み重ねがクリスチャン生活です。 ペテロたちが、イエス様に従う決…
マルコによる福音書1章1節から13節 信仰生活の始まり。 1:神様は試練の中にいるあなたを知っている。 試練は神に救いを求めるための備えの道です。2節から3節 2:あなたの思い違いをしってほしい。 行いによらず信仰によって救われる。4節から6節 3:新…
しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 Ⅰテサロニケ5:4 預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとさ…
【主の祈りは謙遜さを現す】 ・イエス様が荒野で遭われたサタンの誘惑は、自分の力を誇示するようにというものであった。 試みに遭ったことのある人は、誘惑の嵐を知っているかもしれない。 試みに遭うと、人の罪が顕わにされる。 自分の力を試すために、他…