主は、私の光、私の救い。
だれを私は恐れよう。
主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。
悪を行う者が私の肉を食らおうと、
私に襲いかかったとき、
私の仇、私の敵、彼らはつまづき、倒れた。
たとい、私に向かって陣営が貼られても、
わたしの心は恐れない。
たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。
わたしのいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
それは、主が、悩みの日に私を隠れ家に隠し、
その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私をあげてくださるからだ。
今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。
私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、
歌うたい、主に、ほめ歌おう。 詩編27編1節から6節
ダビデがサウル王に追われ、静かに休む寝床もなく荒野を逃げ回り、
食物にも事欠き、ひもじく過ごしてた。
ダビデの周囲に平安は無かった。敵の激しい攻撃を神の御手の守りによって
常にぎりぎりのところで難を逃れていた。
ダビデが周囲の敵に目を留めていれば彼の心はつぶされていたであろう。
しかし、ダビデの心の願いは常に主ご自身にあった。ダビデの願いは
『私のいのちの日の限り、主の家に住むこと。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふけること』にあった。
サウルという肉から来る憎しみの攻撃が私の周囲にも絶えず襲い掛かる。
日々襲い掛かる、激しい攻撃の毎日の中で私もダビデと同じことを主に願う。
そしてそれを求める。
主よ、どうか今年一年間も、『わたしのいのちの日の限り、主の家に住まわせて下さい。どうか、毎朝、主の麗しさを仰ぎ見、主の宮で思いにふける豊かな時を聖別してください。主は、いかなる攻撃と困難に際しても、悩みの日に私を隠れ家に隠し、
その幕屋のひそかな所に私をかくまってくださることを信じます。
敵が私に襲い掛かる時、私の敵は、つまずき、倒れ、
主が敵に勝利して下さることを日々教えられ、私は、その幕屋で喜びのいけにえをささげ、主にほめ歌を歌う毎日としてください。』
主イエスキリストの御名によって父なる神様に願い求めます。アーメン。
2025年元旦