主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたは私たちを滅ぼしにきたのでしょう。マルコ1章24節

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネ3:17
エス様が来られたのは、
人に対しては罪から救うために、
悪霊に対しては、彼らを滅ぼすために来られました。
 
エス様が会堂に入って教えられている時、そこにはけがれた霊に憑かれた人もいました。
エス様は御言葉をもって、その人から悪霊を追い出されました。
 
私たちも、教会の種々の集会に参加する時、主の礼拝に交わる時、
世の生活の中で、気がつかないうちにけがれを身に帯びたまま礼拝の席に参加しているときもあります。
汚れた霊につかれているとき、なにか体が重く、御言葉を遠ざけたくなり、礼拝がおっくううになってしまうと感じてしまうときがあります。
 
このようなときにも、礼拝を避けるのではなく、礼拝の交わりに参加することこそ信仰生活では肝要です。
感情によって、きょうは礼拝に出席したいから、今日は気分が悪いからと自分の感情を基準におくのではなく、
自分の気分によらず、礼拝に交わる姿勢を保ち続けることが大切です。
 
エス様の御言葉には確かに力があり、悪霊を追い出す権威があります。
礼拝で語られている聖書の言葉に身と心をさらしていると、
御言葉がシャワーのように心と体の汚れを洗い流してくれます。