ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。マルコ1章45節
信仰生活の中での証しの表し方について、ここにもう一つ大切なメッセージがあります。
イエス様に自分のらい病を癒してほしいと願う彼の心は真実でしたが、
かれは、癒された後に、イエス様が誰にも何も言わないようにしなさいという命令に従うことができませんでした。
かれは、『この出来事』をふれ回ったとあります。癒されたという出来事ばかりを言いふれ回ったということで、
私は癒された、私は癒されたと自分の身に起こったことばかりを宣伝しました。
癒して下さったイエス様を伝えるのでは無かったということを暗に示しています。
イエス様はそのために表立って町の中に入ることができず。。とあります。
自分のことを言い始めることにより、癒して下さった主人公であるイエス様がいられなくなってしまうということです。
人はどこまでも自己中心的です。証しの中でさえも、自分が主人公になりたがります。
証しは、自分に起きた神の御業を通して、イエス様を伝えることです。