主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

死への備え

死への備え。ヨハネ13章1節から36節

エス様はこの世を去り、父のみもとへ行く自分の時が来たことを悟られると、主はご自身の愛を残ることなく弟子たちに示されました。イエス様の愛の行いは私たちの生きる希望となりました。私たちも、やがて父なる神の御許に召されます。イエス様の愛の行いは、私たちも死を前にしたとき、愛する者とどのように向かい合っていけばよいのかを教えてくれる気がいたします。
131 神の時を知る
エス様は、ご自分が父のみもとにゆくことをはっきりと自覚し、そのことが弟子たちとの最後の交わりを有意義にするきっかけとなりました。イエス様がご自分の時を知ったとき、イエス様の弟子に対する愛の想いはさらに強くされたと想います。
133 自分の死後についての所在をはっきりと知る。
エス様は、弟子たちにご自分がどれだけ弟子たちを愛していたかを示す為の時間を十分にとりました。人は時間的存在です。自分の過去と現在と未来のつながりを必要としています・ですから、自分がこれからどこへ向かってゆくのかということを知ることは生の充実につながります。
135 愛する者と関わりを持つ
エス様は弟子への愛を示すため、自ら腰を低くして、身をかがめ、弟子の汚れた足を洗い始めました。イエス様の方から、わざわざ関わりを持たれました。最後まで関わりを持とうとされたイエス様。イエス様は愛する弟子たちに近寄り、足を洗い始められた。イエス様から関係を持たれた。愛する者と関わりを持つことが生を生きることになります。
13:8 相手の善意を受け入れる。相手のしたいことを認める。
エス様のされることを止めようとしたペテロであるが、主は洗い続けた。イエス様はそのようにしたかったから。逝く人が何をしたいのか、その願いをできるだけ素直に受け止め、行える環境を作ることも大切かと思います。
13:12~愛する者に真正面から向かい合う。伝えたいことを伝える。話を受け止める。
エス様は、遺言として、弟子たちに語り始めた。逝くもの話を受け止めてゆくことが大切。
お互いに家族が向かい合い、真実を語り合うという場を持つということは大切なことではないでしょうか。
13:14から17 愛するものとの和解の場を持つこと。
エス様は、足を洗うことの意味、願いについて、弟子たちに解き明かし、理解を促しました。このように、死への備えは、お互いの誤解を解く時でもあるかと思います、そして、家族との和解のために時間を設けるということ。
13:31  死は敗北の時ではなく、神の栄光を受けるとき。死も、神の恵みの時である。
死そのものに対する、理解をもちたいと思います。キリスト者にとって、死は敗北ではなく、神の栄光、めぐみを現す場であります。死も神の恵みの一つなのです。死は復活への、永遠の生への入り口です。このことを、家族で確認しあうことができれば、お互いの慰めとなります。
13:34から35 家族の和解を促すとき。
エス様の最大の願いは、弟子たちが愛し合う関係を持つことでした。家族の関係を修復するために、最後の時をもちたいものです。
13:36  死後の希望について確認する。残された者への慰め。
死は終わりではないということは、逝く者、残される者の両者にとっての希望です。私たちには天に住まいが用意されています。死後の再会について確認しあうことは、お互いの希望です。
2018.4.22,29 茅ヶ崎、中野集会