マルコ13章
13:1
先日、息子と皇居を散歩してきました。
13:2
弟子の声に対してイエス様は、この建物は崩れると、彼らの感動の心を削ぐような返答をします。ここに、この13章全体の伏線が引かれています。
私たちの心はどこに向いているのでしょうか?
イエス様は、私たちの心をどこに向けるようにと促しているのでしょうか?
13:3
イエス様は宮を眺めながら、イスラエルの未来に目を向けていました。それは、主ご自身の十字架の道と、また弟子たちに臨む迫害、そして、主の来臨に来る大艱難、これらすべての未来について思い巡らしていたように思います。
13:4~13
ローマ軍により、AD70年にイスラエル神殿は崩壊し、イスラエルの民は大勢殺され、国は滅びました。その時代には、すでに皇帝ネロによるクリスチャンの迫害も始まっており、クリスチャンにとっては困難の時代が始まっていました。彼らに求められたことは、最後まで耐え忍ぶこと、そして、福音を証すること、その時、聖霊が語ることを教えるので、主に信頼をしていることでした。
13:14~37
この後、イエス様は、再臨について語り始めます。なんと遠い未来まで見通して、主は私たちに語られていることでしょうか。
31節がキーワードです。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
まだ先のことだからと私たちはこの言葉に心を止めなくて良いのでしょうか。
私たちは、目の前にある素晴らしいこと、栄華に目を奪われています。目の前に起きる様々な困難に目を奪われ、心を騒がしてしまいます。この天地は滅びると言われたイエス様の言葉のほうが、真実なのに、普通に生活しているとイエス様の言葉のほうが絵空事のように聞こえてしまいます。このような私たちであるからこそ、今日再びマルコ13章に聞く必要があるのです。
34節には、しもべと門番の2種類の人物のたとえがあります。
しもべに対しては、それぞれの仕事が割り当てられ、その責任を果たすことが求められています。
門番に対しては、いつ主人が帰ってきてもすぐに迎え入れることができるように目を覚ましていることが求められています。
私たち一人一人、主のしもべとして、主人の帰りを待ち望みながら、主人より与えられた仕事の責任を誠実に果たしていきたいと思います。
2018.5.26 片瀬山集会