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私たちも、人生の試練の傷跡に主の癒しを受けるために、ただ主の食卓に招かれて座っているだけの時期が必要な時があります。それは静かにじっと御言葉に耳を傾け、体と心と魂の回復を待つ時です。疲れているときは、ただ、礼拝の席に居るだけで良い。そこに居るために、どれだけイエス様が大きなことを私にして下さったことか。試練を通して主のよみがえりの命を体験した者達が、ただ主の食卓の傍にいることのできる場が教会であり、主イエス様の復活の命の溢れが周囲への証しとなることを、ラザロは教えている気がします。
2019.2.10 茅ヶ崎集会 メッセージ要旨