主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた.ヨハネ12:2

「イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。
ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた」 ヨハネ12章2節

居るだけで良い。 ラザロは何も語りません。ラザロに必要なことは、ただ主の食卓に座っていることでした。ラザロが何も語らずとも、食卓にはイエス様が彼をよみがえらせて下さったことへの感謝と喜びが、静かに溢れていました。よみがえりを体験したラザロの存在そのものが、イエス様の偉大さを証ししました。
私たちも、人生の試練の傷跡に主の癒しを受けるために、ただ主の食卓に招かれて座っているだけの時期が必要な時があります。それは静かにじっと御言葉に耳を傾け、体と心と魂の回復を待つ時です。疲れているときは、ただ、礼拝の席に居るだけで良い。そこに居るために、どれだけイエス様が大きなことを私にして下さったことか。試練を通して主のよみがえりの命を体験した者達が、ただ主の食卓の傍にいることのできる場が教会であり、主イエス様の復活の命の溢れが周囲への証しとなることを、ラザロは教えている気がします。
2019.2.10 茅ヶ崎集会 メッセージ要旨