主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。マタイ8:28

【小さな一人へ】
彼らはひどく凶暴で、だれもその道を通れないほどであった。
弟子を引き連れ、大嵐を乗り越えて、やってきた向こう岸のガラダ人の地。
大きな仕事、大勢の人々の出迎えがあるかと思うと、
だれからも見捨てられた二人の狂人のもとへ、イエス様は向かわれた。

今まで、いつもイエス様のそばには大勢の群集がいました。
弟子たちは、イエス様の姿を見て、人気度アップのイエス様を誇らしげに思うようになってきたことでしょう。
人々の中でなされる癒しの業は、周囲から見れば、ショーのようにも見えたかもしれません。

弟子たちの心は、いつのまにか、人々の注目を集めること、人々に知られることに価値を置くようになった。大嵐の後、湖を渡り、地に立つとそこには、誰の出迎えもなく、荒涼とした地に狂人がいるだけでした。なぜ、 人のいない こんな地にやってきたのだろうかと。
「群集がいなければ、癒しのショーをしてつまらない。」と弟子たちは思いました。
けれど、イエス様は、人々に知られない人のことを知り、捜し求め、愛されました。

弟子たちは、イエス様が見捨てられたただ一人の人を大切にされるかたであることを学びました。


罪の嵐を乗り越えてきた人は、イエス様がこんな小さな自分を見捨てず、愛されていたのかと自分の小ささとイエス様の愛の大きさの両方を一緒に見れるようになります。

主の愛を教えられるからこそ、
小さな一人の人に触れるために、大勢の中のただ、一人だけの必要のために、
注目されることもない小さな働きの場へ遣わされることもあります。