主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

流道の技の方向性

流道の技は、合気道から来ていますので、
技の習得に関しては、合気道の各流派から学ぶことは多いに必要なことと思います。
ただ、流道の場合、その技を習得していく過程において、
何を目指していくのかを知っていなければ、流道として、技を学んでいる意味がありません。
 
流道の技は人を活かすために稽古しています。
技をかけて、相手が傷つくのでは流道の目指している技ではありません。
相手が痛がっていることをただ喜んでいるようでは、自己中心的な喜びに過ぎません。
流道の技は、まず、体術として人の体が活かされることを技を通して学びます。
言い換えれば、流道の技は癒しの要素を含みます。
例えば、一教、二教の極技によって、相手がただ痛がれば良いのではなく、
傷が癒され、肩の凝りが解れ、関節が柔軟になり、
稽古前よりもその人の状態が改善されてこそ、流道の技となります。
五教の極技において、相手がただ倒れれば良いのではなく、
稽古の最後の締めとして、相手に良い気を通し、相手の気の不調を整え、気を正しく調整できてこそ、
流道としての五教の技と言えるでしょう。
 
流道は、合気道の技を借りながらも、
人を活かす手段として技の習得に励んでいることを覚えていなければなりません。
                                                  気風