主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

イエスはこれを聞いて言われた「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。」マタイ9:12

【もっと側に】

ここ最近、イエス様の癒しの記事をどう読んできたのだろうか?
エス様が今も人を癒されることを認めつつも、
私の病みによる闇に触れることを拒んできたのではないか。
エス様に触れられることを諦めている。
自ら、進み出て、私の闇に光を当てられることを恐れてきたのではないか。
なぜ?


エス様が、取税人や罪人と交わっているのを見て、嬉しいか?妬ましいか?羨ましいか?
羨ましいなら、自分も交わればいいではないか。

パリサイ人のように、理屈をのべ、外で祝宴を眺めているより、
自分の病みを認めて、一緒に交わればいいではないか。

エス様は病人を必要としていると言って下さるのだから、
まさに、わたし、病んでいるわたしこそ、招かれているではないか。

エス様が、私にも、もっとそばに寄ってくるようにと招いてくれている気がしてきた。