主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

イエス様は私たちを礼拝者へと招かれている。

わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。                                               マルコ2:17

エス様は罪人を招くためにこの地に来てくださいました。
失われた者を探し出し、救うために来て下さいました。
 
エス様は私たちをいつでもだれでも招かれています
三つの招きについて学びたいと思います。
1:イエス様は救いに招いておられる
2:イエス様は教会という共同体に招いておられる
3:イエス様は、礼拝者へと招いておられる。
 
エス様は救われた者を教会に招き入れ、教会の交わりの中で成長し、
真の礼拝者となるように招かれています。
 
今日の聖書箇所では、イエス様の招きを拒んでいるパリサイ派の律法学者たちが登場します。
エス様は誰に対しても開かれた心を持っていらっしゃいます。
エス様が拒むのではなく、私たちの心がイエス様を拒んでしまうのです。
どのような心がイエス様の招きを拒んでしまうのでしょうか。
 
見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いて下さらないようにしたのだ。イザヤ59:1,2
 
私たちの中にある隠された罪、偶像礼拝の心、悔い改めない心が、神様との交わりを妨げてしまいます。
今、もう一度、イエス様の御前にゆき、己の隠された罪を告白し、偶像礼拝から離れ、自分の主張を捨て、自分のプライドを捨て、十字架の上で流されたイエス様のきよい血潮によって、汚れた心を洗い清めていただきましょう。
そして、今日も、真の礼拝者として、霊と真心をもって父なる神様を礼拝しましょう。感謝。
 
2013.4.27 メッセージ要旨