主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

見よ、取税人や罪人が大勢来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓についていた。マタイ9:10

【想定外の出来事】
この出来事の中に、イエス様の福音が凝縮されていると思います。

・また、誰が神の国に近いのか?
・どのようにして、神の国に入ることができるのか?
・恵みとは何か?

当時、取税人と言われるローマ人に代わって税を取り立てる人や、
罪人と言われて、律法を守ることのできない人たちは、律法学者、パリサイ人から軽蔑されていました。
自分たちは律法を守っているから、神の国に近く、神の国に入ることができると考えていました。
罪人たちは、当然、律法を守れない人であるから、神の国から遠く、神の国に入ることはできない
と考えていました。

だから、彼らにとって罪人たちは、想定外の人たちで、
救われる必要の無い、関わる必要の無い人たちでした。

けれども、イエス様は違いました。
そんな想定外と思われていた人々と交わり、共に食事をしていました。

ここに、イエス様の恵み、救いの福音があります。
罪人らは、イエス様の優しさ、柔和さ、寛容さを素直に喜び、自らの身分などを気にせず、イエス様のそばに寄ることができました。
そして、イエス様のすぐそばに寄っていたものは、そこで、イエス様に触れ、救いとは何かを知ることができました。

けれど、正しいことは何であるかを知っていると自負していたパリサイ人らは、自らの知識が邪魔になり、素直にイエス様に近づこうとしませんでした。そこで、彼らは、救いに触れる機会を失いました。

大切なことは、救いが何であるかとか、自分を正しくするとかではなく、
エス様の優しさ、柔和さ、寛容さなどのご人格に感動し、素直にイエス様のもとに近づくことです。

素直に、イエス様のもとに近づくならば、罪人もパリサイ人も関係なく、皆、イエス様が神の国に招待してくれます。
どんな身分の者でも、イエス様のもとに行けば救いにあずかれるということが恵みです。