主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。マルコ5:33

 
エス様は、癒されたまま去ろうとした女を探し求め、女が主の御前にひざまずき、主に真実を余すところなく打ち明けることを求められた。
エス様の望まれることは、女との人格的な対話であって、いやしによってイエス様から離れていくことではなく、いやしの業を通して女がイエス様に近づいて、イエス様を拝するものへと変えられることであった。
女は、イエス様にその身にに起こったすべてのことを正直に告白した。
このことは、女にとってこれから社会に戻る上で大変重要なことであった。
 
病が癒されて、しずかに立ち去ったとしたら、癒しがあったかもしれないが、誰もこの女が癒されたことを知ることは無かった。周囲の人々が知らなければ、この女は依然として社会から受け入れられず、仮に自分で癒されたと人々に言ったとしても、幾たびも医者にかかりつつ見捨てられていた女の告白を信用するわけにはいかなかったであろう。
 
エス様がこの女を去らせず、主の前ですべてを打ち明けさせたことにより、
女は、周囲の人々、社会の中での立場も回復することができた。
女は、主の御前に立ち戻ることによって、隠すことなく、
堂々とイエス様に従う一人の女性としての立場を得ることができた。
女は、イエス様を癒し手としてではなく、主を礼拝の対象として受け入れることができた。
女は、告白することによって、信仰が与えられ、信仰が強められた。
女は、イエス様から励ましの言葉をいただいたことにより、癒しの経験によってでなく、
エス様の言葉によって、新しく生きていく希望を抱くことができた。
 
本当は他の教会員の誰よりも強い求めを抱いて教会の片隅に座っている未信者の人がいる。
誰よりも強く、今抱えている自分の問題、家族の問題を解決してほしいと願っている。
エス様は、彼の求めに応じて、問題を解決してくれる。
エス様は、私のことなど何も知らないだろうと思っているかもしれない。
私が、イエス様の前に出て、他の教会の人々の前で、自分の身に起こったことをお話するなんて、私には何の資格も、ここの人々と関係もないと思っているかもしれない。
しかし、イエス様は、教会の片隅で思い悩んでいたあなたのことをよく知っている。
エス様は、あなたが癒しによって去ってしまうのではなく、主の前に立ち戻り、主を信じて歩み出す者になってほしいと願っている。イエス様はあなたと出会い、あなたに語りかけ、励ましを与えたいと待っておられる。
エス様にとって大切でない人は一人もいない。
主の前を去るのではなく、勇気をもって主の前に進み出ましょう。