聖霊にこころを留める。
イエス様の御降誕を想いながら、聖霊の御降誕にも心を留めています。
聖霊の御降誕という言葉は聞きなれないかと思います。
お生まれになったということではないので、
普通は聖霊の降臨と言われます。
御降誕と呼んでみたのは、聖霊の降臨もまた御子の誕生と同じように、
柔和で謙遜な霊として低くなり、神に仕え人に仕える霊として来てくださったからです。
ペンテコステの日に、聖霊は実に力強く弟子たちに臨んでくださったので、
私たちは聖霊の力強い勢いのある姿をイメージします。
しかし、同時に聖霊なる神様は御子の霊ですから、
実に謙遜な霊として私たちのそばに来てくださいました。
それは、全く御子がこの世に来てくださった時と同じです。
世の人々には全く関心も持たれず、静かにひっそりと貧しい姿で来られているのです。
救いを待ち望む少数の人々にご自身の誕生を知らせたように、
聖霊も聖霊による救いを待ち望む少数の人々にその姿をお示しになります。
聖霊は、人々の間に住まわれ、臨在され遍在されています。
イザヤ書61章に預言されているように、聖霊なる神様は、今イエス様と同じ働きをこの地上で成し遂げられています。
イエス様が歩まれた時は、人々の父なる神様、すなわち主がどのような御方であるかを告げ知らせるために、人の姿を通して失われた人々の前に歩んでくださいました。
今は、聖霊は目に見えませんが、人が自分の魂において救い主を求めているときに、聖霊は魂の救い主として働いておられます。
心砕かれ貧しい者には、福音が伝えられ、
心傷つきいやしを求める者には、いやしが与えられ、
悪魔に捕らわれ、悪魔からの解放を願う者には、解放を、
義を求める者には、神の恵みの年と、神の復讐の日を告げ、
すべて悲しんでいる者には、慰めを与え、
悲しみの代わりに喜びの油を
憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせて下さいます。
柔和で謙遜な霊、心砕かれた人々と共におられます。
主イエス様、この一年間の家族の歩みの中に共に歩んで下さり、
道からそれてしまいがちな私たち家族をお守り下りありがとうございます。
あなたの愛だけが家族を結び合して下さる唯一の絆です。
心から感謝を申し上げます。