主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。マルコによる福音書1章35節

祈られるイエス

 

エス様は一日の宣教の始まりに、朝早くまだ暗いうちに起きてただ一人で父なる神に祈っておられました。

私はここでイエス様が初めて人としての模範を弟子たちに表されたことに気が付きました。

今まで弟子たちの前で表されたイエス様の姿は神ご自身でした。イエス様の語る言葉の権威、悪霊の追い出し、病の癒しとどれも人にはまねできない神にのみできることをイエス様は弟子たちの前で行われました。宣教の始まりにあたりイエス様は神の国の到来を現されたのでした。

しかし、ここでイエス様は弟子たちにこれから福音宣教の業に仕えていくために必要な大切な人としての勤めを示されたのです。それは祈るという姿でした。

エス様と父なる神は一つです。ですからある意味、イエス様は父なる神に祈らなくてもすべて神の御心を知っていたはずです。

しかしイエス様は一人の人としてこの地上生活を歩まれました。

人として朝ごとに父なる神に向かい、父なる神と交わり、御声を聞き、聖霊に満たされて歩む生き方を自ら選ばれました。

弟子たちは、毎日、朝早くまだ暗いうちに起きて寂しいところで一人父なる神に祈るイエス様の姿を深く心に留めたことでしょう。

そして弟子たちもやがて宣教に遣わされるときが来たときには祈りの人となって主と共に歩みはじめたことと思います。私たちも主に倣うものとなりたいと願います