主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。ヨハネ2章10節

メモ

1節 バプテスマのヨハネから洗礼を受けて三日目にガリラヤのカナで結婚式があった。この結婚式は母マリアの親族の結婚式であったために、息子であるイエス様と彼のいとこたち、ヨハネやペテロやアンデレたちも招かれた。

結婚式にはすでに母マリヤが居て、親族の代表として結婚式の運営を見守っていた。

2節 宴会もたけなわになり、たくさんの料理が運ばれ人々は食事を楽しんでいたが、母マリヤはぶどう酒がなくなったことに気が付いた。

3節 マリヤは困惑し、息子であるイエス様に「ぶどう酒がありません」とどうしましょうと自分の心配を打ち明けた。

4節 本来ならばぶどう酒の管理は料理人たちがするもので、客として招かれたイエス様には何の関係もない。イエス様にしても私に言われてもどうしろというのだと思うこと。

ただ、マリアは、息子のイエス様に話したかったのだ。

エス様は母マリアとの関係を隠そうとする。イエス様はぶどう酒が無くなったという窮乏に心を留めたが、自ら人々の前で奇跡を起こそうとは思わなかった。

このカナでの最初の奇跡において、イエス様の姿は人々の前には隠されていた。

エス様は、母に向かって、女の方。とまるで他人であるかのような返事をする。

子供が母親と一緒にいるところを友達に見られるのを嫌がって、わざと他人の振りをする時のようだ。

 実際、ぶどう酒が無くなったのであれば、それは直ちに料理長に伝えるべきである。おそらく、マリア自身が料理長の役を担っていたのかもしれない。そのため、ぶどう酒が無くなったという窮乏をほかの誰かが解決できるわけでもなく、信頼する息子であるイエス様に直接伝えたのかと思う。

しかし、イエス様は直接自らが人前に出てこの問題を解決しようとはされなかった。

エス様は姿を隠されていた。

5節 マリアはどうしたら良いかは分からなかったが、イエス様を信頼していた。そのため、イエス様の他人行儀な言葉にもかかわらず、手伝いの者たちは、「あの方が言われることを、何でもしてあげてください」と伝えた。

4節での「女の方」という言い方は、母と息子という関係性ではなく、成人した一人の紳士と婦人との関係性に思える。

マリアはイエス様の「女の方」という言葉に、息子という親子関係の中でイエス様に接するのではなく、ヨハネよりバプテスマを受け、人の子、神の子、一人の預言者、メシアとして歩み始められた神の人として、イエス様への見方を新たにしなければならないことに気が付いたに違いない。

そこでマリアは「あの方」と手伝いの者たちに紹介した。

マリヤはイエス様が何をされるかは知らなかったがイエス様に全幅の信頼を置いていた。「何でもしてあげてください」とこの場をイエス様に委ねた。

6節 時に、イエス様の奇跡は私たちの日常の営みの先に現れる。私たちは、今ある困窮を知っている。その課題が早く解決されてほしいと願っている。しかし、何をどうしたら良いかわからないままにいる。ただ、イエス様に日々祈るほかない。私たちのできることは、その問題、困窮があるままに、日常生活をいつものように繰り返していくほかない。

7節 イエス様は手伝いの者たちに「水瓶に水を満たしなさい」と命じられた。彼らにとって水瓶に水を満たすことは日常の仕事であった。イエス様は何か変わったことを彼らに命じたのではなかった。そこで彼らは何の疑問も持たず、イエス様の言われる通り、水瓶に水を入れ始めた。

8節 水瓶に水が満たされた時、イエス様は彼らに「さあ、今くみなさい。」と言われた。満たされる時がある。汲む時がある。日々の労苦が報いられる時がある。

日常の積み重ねが奇跡に代わる時がある。

振り返ってみれば、それぞれの人生の節目があるのは、突然ではないことに気が付く。

今の職場は以前の職場で苦労した後にあった。若い時、希望の大学に入れたのはそれまでの中学、高校時代の努力の先にあった。今ある宣教の働きの現場は突然現れたのではなく、一つ一つの日々の祈りの先にあった。

エス様は時が満たされると「さあ、今だ!」と声をかけてくださる。言われた通りに新しい道に一歩踏み出すとそこには新しい世界が開かれる。

9節

水瓶の水全体がぶどう酒に変わったのではない。汲むまではただの水だ。しかし、手伝いの者が水を汲み、宴会の世話役のところに運ぶといつのまにかぶどう酒に変わる。

手伝いの者はそれがどこから運ばれてきたのかを知っている。しかし、彼らもそれがどうしてぶどう酒に変わってしまうのかは知らない。

彼らはただイエス様の言われる通りのことをしたに過ぎない。

エス様は姿を隠される。ご自身がなされた奇跡を隠される。イエス様は自身を誇らない。見せびらかしたりはしない。そっと、このカナの婚礼で起きたぶどう酒の欠乏という事件を静かに解決される。

客たちは何も知らずに宴会を楽しみ続けている。イエス様はその姿を見て喜び、満足されている。

10節 宴会の世話役は花婿を褒めた。よくぞ最良のぶどう酒を客のためにとっておいた。花婿の善良さ、ごまかしをしない誠実さ、客へのもてなし、親切心を褒めた。

11節 マリアもほっとした。そして、静かにイエス様に感謝した。

弟子のヨハネはこの出来事を心に留めた。そして、誰も気が付かなかったイエス様の奇跡を福音書にしっかりと書き記した。弟子たちはなぜ水がぶどう酒に変わったのかは謎のままであったが、この奇跡はイエス様によってもたらされたことは知っていた。

 

私たちは解決してほしい課題をイエス様に祈りつつ、

毎日の勤めをイエス様から与えられた務めとして大切に為す。

奇跡はやがて訪れる。新しい一歩を踏み出すその時が必ずやってくる。

新しい一歩は今までの為してきた営みの中にすでに隠されている。

 

あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、

穏やかにして信頼しているならば力を得る。イザヤ30章15節

 

つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。

                        第一テサロニケ4章11節

 

主に信頼して善を行え。

地に住み、誠実を養え。 詩編37編5節