主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか」ヨハネ13章5節

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のため、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです マルコ10章45節

 

先日、7月26日から30日にかけて、韓国の大田サンソン教会からの宣教チームが来て下さり、三日間地域の子供たちのためのサマーデイキャンプを主催して下さった。

プログラムの一つ一つの中に祈りと愛が込められていた。

わたしは、キャンプには参加できなかったが、30日の礼拝の時にチームの皆さんとお会いすることができた。

この日の礼拝はチームの祈りも加わり、聖霊の豊かな臨在に満たされ、

傲慢な私にも悔い改めと謙遜な心へと導いて下さった。

 

礼拝の後、

チームは子供たちへのプログラムだけでも大変であるはずなのに、

私たちの教会のメンバーのために、愛餐会と歓迎の催しを開いてくださった。

本来ならば、私たちが最後にもてなしてあげる必要があるはずだが、

経済的にも労力的にも時間的にも余裕のない私たちはそのことができないでいた。

 用意された会場に入ると、そこは一流のレストランのように整えられ、愛の心のこもった韓国料理の夕食を準備して下さっていた。

プログラムで疲れていらっしゃるだろうに、なぜ、私たちにまで愛をもってもてなしてくださるのだろうかという思いで一杯であった。

後でこの時を思い返しながら、これは、イエス様が私たちを天の食卓に招いてくださっていることを示してくださっていることに気が付いた。

 不誠実な私にかかわらず、絶えず誠実にこの私にかかわって下さっているイエス様が

天において食卓までも用意して待っていて下さることの表れであることを霊に感じた。

 食事のあと、洗足式の代わりとしてテーブルの上に洗面器に水を満たし、手を洗う式を行ってくださった。韓国の兄弟姉妹がなぜ、日本を愛して下さるのだろうか、なぜこのようにしてまで仕える姿を現してくださるのだろうかと感謝を受けつつ、兄弟姉妹を通してイエス様が仕えて下さる姿が心に静かに広がっていった。

 

わたしは、今日、イエス様が仕えるための姿を示してくださったことを霊に感じ、仕えるために来てくださった主ご自身を味あわされた。