『なぜ泣いているのですか』
ヨハネによる福音書では、復活の主に最初に出会う特権を与えられた女性としてマグダラのマリヤを登場させます。
マグダラのマリヤはかつてイエス様から7つの悪霊を追い出してもらった女性です。
7つという数字は完全数と言われていますので、このマリヤは完全に悪霊に支配されていたことを私たちに教えます。
イエス様に出会う前は、悪霊が彼女を深い罪の世界に彼女を貶め、自ら傷つき、憎しみと敵意と悪意と汚れとに満ち、悪霊の働きに本人が振り回され、自分をコントロールすることもできなかったことでしょう。人々はだれも彼女を人としては迎えず、蔑み、遠ざけ、助けず、人の社会から途絶されていたことでしょう。
しかし、罪人を救うためにこの地上に来てくださったイエス様は、悪霊に捕らわれて苦しんでいたこのマリヤの本心を知っておられ、憐みの中で神の権威によって彼女から悪霊を追い出し、本来の神の子どもとしての立場を回復して下さったのです。
イエス様の深い愛に出会い、救われたマリヤは深くイエス様を愛する女性となりました。
イエス様の深い愛を教えられた者は、イエス様を深く愛するようになります。
マリヤは前日、墓に納めたばかりのイエス様の亡骸が墓の中にないことを知り、途方に暮れながら、弟子たちに告げ、マリヤもまた弟子たちの後を追って、墓に戻りました。
愛するイエス様が十字架で処刑され、悲しみに満たされていたマリヤですが、さらに悲しみに追い打ちをかけるかのように、イエス様の亡骸が消え、マリヤは外で墓のところにたたずみ泣いていました。
愛する者をとつぜん失った者の悲しみ、不条理な死に遭遇ししてしまった人の悲しみ、また、愛する者を見つけることのできない苦しさ、悲しみが表現されています。愛する者の行方が分からないとはなんという苦しみ、絶望でしょうか。
マリヤは一昼夜のうちにそのような感情を味わなくてはなりませんでした。
聖書に復活の主に最初に出会った女性としてマリヤを登場させているのは、
愛する者を見失ったすべての女性の代表ではないかと思います。
愛する子を失った者、愛する夫を失った者、愛する友人を失った者・・。世の不条理が愛する者を切り離してしまった悲しみに暮れる女性の全てを代表しているように思います。
そんなマリヤに、『なぜ泣いているのですか』とみ使いは語りかけました。
さらに、復活されたイエス様も同じように『なぜ泣いているのですか』とマリヤに優しく語りかけました。
『なぜ泣いているのですか』となぜ、み使いたちは語りかけたのでしょうか。それは『なぜ、泣いているのですか』と呼びかけの後に、続く言葉をみ使いもイエス様も用意していて下っているからではないでしょうか。。
み使いは『あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で探すのですか』とも語りかけています。
聖書の別の箇所から引用してみます。
エレミヤ書31章16節
主はこう仰せられる。
『あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。
~主の御告げ~
彼らは敵の国から帰って来る。あなたの将来には望みがある。
~主の御告げ~
あなたの子らは自分の国に帰って来る。
マリヤが空の墓を見つめながら嘆き悲しんでいるその時に、
復活されたイエス様はマリヤのすぐ後ろに立ち、マリヤを暖かなまなざしでマリヤを見つめていました。泣いているマリヤを包み込むように、イエス様はすぐ後ろでマリヤを支えていてくれていたのです。
同じように悲しみのすぐ横で、死よりよみがえり、死に勝利をおさめられたイエスキリストが、あなたの後ろに立っておられます。
愛する者を見失ってしまった時、すべてを失ってしまった時にも、
本来私を支え助けてくれるはずのイエス様がどこかに行ってしまわれたのではなく、
あなた一人がそこに残されてしまったのではなく、
あなたを見捨てず、見放さず、あなたの後ろであなたを支えておらえることを信じ、
ここに希望を置きたいと思います。
イエス様は死に勝利されました。ご自分の死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖の奴隷となっていた人々を解放して下さいました。へブル2章14,15節。
悲しみの最中にあっても、ふりむくとそこには死に勝利されたイエス様が立っておられます。復活を信じるのです。目の涙をとどめるのです。主は必ず、あなたの愛の労苦に報いて下さいます。復活を信じて下さい、死は打ち破られました。サタンは敗北しました。
イエス様を信じる者はすべての罪が許され、神の子とされ永遠の命が与えられ、決して滅びることがありません。イエス様を信じる者は、やがて復活の体が与えられ、主と共に永遠に生きることになります。主イエスを信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます。主は生きておられます。主は生きておられ、あなたの傍におられ、昨日も今日も永遠に変わることなく、あなたを愛されています。
ここに、私たちの慰めと希望と喜びと平安があるのです。ハレルヤ!
2023.4.9 茅ヶ崎礼拝