主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがた      ローマ1:6

  福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、
  信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。        ローマ1章16節

ローマ人への手紙1章1節から17節
イエス・キリストによって救われた者たちの新しい立場

平日働いていると、当然の事、仕事以外のことをする時間がない。
私の場合、もともと体力がないというか疲れやすいというか、家に帰ってきたら、
子供と一緒に寝てそのまま朝になるという毎日がほとんどである。
夫婦で、毎日聖書を読んで、お祈りをしてということを二人とも心がけてはいるが、
妻は赤ちゃんの世話で自分の時間が取れず、私が家に帰ってくることを待ちわびて、すぐに赤ちゃんを私に手渡すと、わずかにできた自分の時間を楽しもうと努力している。寝るまでのわずかの時間に食事をし、お風呂に入り、そこまででその日の体力を使い果たし、
子供と一緒に布団にもたれこむ。まあ、赤ちゃんがいる家庭はどこも似たり寄ったりだとは思うが、赤ちゃんの笑顔を楽しみにして一日が始まり、一日が終わっていく。

ということで、ローマ書も丁寧に学びなおしたいと思いつつ、そんな時間がとれないでいる。

クリスチャンも生活に振り回されていると、
自分たちの立場はなんであったのかとか、イエス様を信じたのはいいけれど、これからどう歩んでいったら言いのとか、イエス様を信じるって、信じる前とどう変わったのとかいろいろ疑問が湧いてくることがある。
ローマ人への手紙は、そんなクリスチャンに成り立ての人や、クリスチャン人生に迷いが生じている人や、さらにもっとイエス様のことについて知りたいとか思っている人には、入門書としても最適な聖書の一つと言ってもいいと思います。

今回、1章の1節から17節まで読み直して、教えられたことを簡単にまとめると、
1:すべてのクリスチャンには使徒としての召しが与えられているということ
2:福音とは何かというと御子イエス・キリストに関することであるということ。
3:福音は信じるときに神の力が現されるということ。
を再確認しました。

1:すべての信徒は使徒として召されている。
パウロは1節から7節までの間に、私たちはあなたがたは 、聖徒たちと幾度も呼びかけています。
①召されている
②選ばれている
③恵みを受けている
使徒とされている
ということが、'私たち全体に与えられているものであると伝えています。
こう読むとああ、クリスチャンというのは、共通の使命として、
誰でもみんな大なり小なり、その働きは違えども、使徒として召されているのだなと確認できます。
2:パウロが15節で『ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたい』と語っているところを読んでおや?と思いました。8節で『あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている』と言っているとおり、すでにローマの信徒はイエス様の福音を聞いて、すでに信じているはずなのに、パウロはそんな彼らに『ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたい』と言っているのです。
そうなんです。ここで教えられることは、クリスチャンはイエス様信じてから後もなお福音を伝えられる必要があるということなのです。
*福音とは御子に関すること。
つまり、イエス様が人として歩まれたすべての出来事。
とイエス様が神の子としてなされたすべての出来事をよく知ることが大切なんだということです。

3:そして今回もう一つ教えられたことは、
福音は信じることであるということ。
人は福音を信じて救われますが、
救われたクリスチャンは、なおなお福音、すなわちイエス様のことを信じて歩み続けるのだということです。
17節に『福音のうちには神の義が啓示されている。その義は、信仰に始まり信仰に進ませる』と書いてあります。言い換えるとイエス様の歩みのすべてには、神様の義とする道が示されていて、
幾度も幾度もイエス様を新しく信じなおし続けていくことによって、クリスチャンの歩みはあるのだと言っている。イエス様に関する聖書の知識を得て、そこでおしまいではなく、そこから信じてこそクリスチャン生活の諸問題に光を与え、解決し、新しく歩み出す神の力と成り得ると言っている。

エス様を信じるときに、神の力が私たちの生活に現れます。
クリスチャンは信仰によって生きるのです。感謝します。
2011.01 新年集会メッセージ要約