主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

むしろ愛によって、あなたがたにお願いしたい。 ピレモンへの手紙

  むしろ愛によって   ピレモンへの手紙
パウロの中に見られる、神と人の仲保者としてのイエスキリストの姿


概略
これはパウロがコロサイ教会の中心人物であり、パウロの同労者であるピレモンにあてた個人的な手紙である。個人的な手紙であるが、この書簡の中にはパウロを通して受肉しているイエスキリストの品性がちりばめられている。キリストの香りがするパウロキリスト者としての姿が描かれているがゆえに、聖書の中に納められている。

ピレモンの下で奴隷として仕えていたオネシモが何か大きな失敗をしてしまい主人であるピレモンに大きな損失を与えてしまい、オネシモはピレモンの家から逃げ出した。
逃亡奴隷、そして主人に損害を与えた奴隷はその主人が自由に処罰する権限があった。特に逃亡奴隷は死刑であった。
ピレモンは恐れ、ローマにまで逃げてきた。そこで、かつてピレモンの家に出入りしていたパウロに出会い、パウロの話を聞き、イエスキリストを信じ、パウロに仕えることになった。

パウロはオネシモの話をじっくりと聞き、事情を理解した。
パウロは、オネシモを手元に置いておくこともできたが、ピレモンは同労者であり、事情を知る者として、オネシモをピレモンの下に送り返すことにした。

送り返せば、ローマの法律により死刑にされる恐れもある中、パウロはピレモンに対し、オネシモを許してくれるようにとりなしている。

この執り成しの姿勢はあたかも、イエス様が父なる神様に罪人である私たちの執り成しをしてくださっているかのようである。
私たちは、ピレモンの手紙を通して、パウロの執り成しの姿からイエス様の仲介者、仲保者、とりなしてとしての姿を知ることができる。

ピレモン 主人     父なる神
パウロ  とりなして  キリスト
オネシモ 奴隷     罪人である人間

 

仲介者の資格。仲介者はとりなす両者と親しく、両者の事を良く知り、両者からの信頼を得ている必要がある。

 

1.同労者 

1節:私たちの愛する同労者ピレモン

ピレモンは、コロサイ教会の中心的な人物で、裕福な人で自分の家を解放して、コロサイの地域の教会が形成されていった。パウロもピレモンの家の教会を起点としてコロサイに広く福音を宣べ伝えていたと思われる。

 

同労者

ここに同労者という表現を使っている。

同労者とはどのような弟子たちを指すのであろうか。

同労者と呼ばれた弟子たちを聖書から探していると、

・プリスキラとアクラ ローマ16:3 自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守っ  てくれた。

・ユスト コロサイ4:11 この人たちだけが、神の国のためにはたらく私の同労者

・テキコ コロサイ4:7 忠実な奉仕者 同労のしもべであるテキコ

・エパフロデト ピリピ2:25 戦友、私の窮乏のときに仕えてくれた人

・エパフラス コロサイ4:12 あなたがたのために祈りに励んでいます。

・テモテ、

・テトス、

・ウルバノ、

同労者という言葉から、当時のパウロの宣教の様子を伺い知ります。

パウロの宣教はただ一人で行われたものではありません。パウロの宣教を通して救われた人々の中にキリストの弟子としてともに働きたいという聖なる願いが起こされ、

パウロとともにこの偶像、皇帝礼拝のローマの時代に共に働く仲間たちがいました。

これらの同労者の多くは、その地域に根差した市民(?)です。ピレモンは自分の家を解放することにより、コロサイに教会の拠点を設けることができました。

アクラとプリスキラも裕福な家庭であったと思いますが、パウロに対する財政的な支援とまた危険を冒してパウロをかくまいました。

テモテのようにパウロと行動を共にする使徒となったものもいます。

各地に生み出された同労者たちとパウロは手紙において連絡を取り合い、霊においても緊密に連携を取り、会えない間は互いに祈り合い支え合いながら、

点から線へ線から面へと小アジア全体に広がる広域な宣教網と牧会システムを形成していったのでした。

使徒、伝道者、牧師

補足ですが、パウロは自身のことを使徒、伝道者として紹介していますが、

牧師としては紹介していません。

ここに働き人の役割分担が示されています。

どの働きも福音を伝え、福音を教えることには変わりはありません。

しかし、働きの分野に違いがあります。

使徒:まず、使徒がまだ福音を知らない地域に行き、福音を伝え、人々を救います。

使徒の賜物があるかどうかは、未信者を救いに導けるかどうかにあります。使徒の賜物がある者が福音を伝えると未信者は救われます。

 

パウロはしばらくの間同じ地域にとどまり、福音を教えますが、救われた人々が集まり地域の教会が形成されていくと、そこにその地域の信用のおける兄弟を監督、長老に任命し、パウロはまた別の地域に遣わされ使徒としてのはたらきを継続します。

 

伝道者

パウロは、監督を任命した地域教会を定期的に巡回し、巡回伝道者として働きを行います。巡回伝道者の役割は、間違った教えが入り込んでいないかどうかを確認し、福音を正しく思い起こさせることです。また、巡回時にはその地域教会の抱えている問題点を把握し、聖書を通して正しく教え導くことです。

今は、伝道者というと福音を伝える働き人を総称していることが多いですが、

パウロが伝道者といいう時は、巡回伝道者を指していたと思われます。

伝道者は巡回を繰り返しながら、地域教会をつなぐ大切なパイプとしての役割を担います。

牧師パウロは地域教会の牧師にはなりませんでした。地域教会の牧師は、その地域の主だった兄弟たちを任命し、聖霊に委ねました。ピレモンもその一人でした。牧師になる者もパウロの同労者であり、パウロとともに主のために働く戦友です。

牧師職は地域教会の守りと成長のために大変重要な職務です。

2 オネシモ

10節 獄中で産んだわが子オネシモのことをあなたにお願いしたいのです。

オネシモは、ピレモンの家で仕えていた奴隷です。

奴隷といっても鎖でつながれていたわけでなく、当時は、征服した地域から優秀な人材をローマに奴隷として連れて来て、その人の能力に従って、家で働かせていました。

勤勉で忠実な者には、その家の会計を任せることもありました。

また、肉体労働や家の中の家事労働に従事させることもありました。

ただ、奴隷には自由はなくローマの市民権も当然なく、主人の持ち物に過ぎなかったと思われます。

このオネシモは何かピレモンの家で大きな失敗をし、ピレモンに損害を与えてしまったようです。オネシモは処罰が恐ろしくなって、ピレモンの家から逃げ出してしまったのでしょう。逃亡奴隷は死刑ですが、その処罰を冷静に考える余裕もないまま逃げ出してしまったと思われます。

オネシモは、当時、ピレモンの家に出入りしていた伝道者パウロのことを心に思い、パウロなら自分の境遇を憐れんでくれるかもしれないと遠いローマまで逃げ出してきたのかもしれません。

当時、パウロは自身の潔白を証明するため、ローマ皇帝に直訴するためにローマに連行され、軟禁状態で自分の家に住み、訪ねてくる人を誰彼となく迎え、福音を伝える自由がありました。

パウロローマ市民権を持っていたために、裁判なしに勝手にさばくことはできませんでした。

オネシモは無事にパウロに出会うことができました。これは、主の導きと守りがあったというほかありません。神様の御計画というものは、私たちの想いをはるかに超えて、良きに働かれることを教えられます。

 

パウロはオネシモから彼の事情を良き聴き、そしてオネシモに福音を伝え、オネシモは従順なキリストの弟子に生まれ変わりました。

11節 今はあなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。

オネシモは自分をかくまってくれたパウロに感謝し、さらに永遠のいのちを与えて下さったイエス様にも感謝し、主の忠実な僕としてパウロの働きを助ける者となりました。

主に在る兄弟の互いの愛と信頼を見る思いです。主にある者同士は、霊の一致をお互いに感じ、ともに喜びを分かち合える喜びがあります。

キリスト者は、老いも若きも経験も立場も境遇も超えて主に在って一つ、御霊にあって一つとなることができるのです。

12節 そのオネシモをあなたのもとに送り返します。

パウロはオネシモをピレモンのもとに送り返す決断をしました。

オネシモがパウロのもとに居ることはピレモンにもいづれ知れ渡ることです。

オネシモが戻れば、逃亡奴隷として処罰することもピレモンには可能でした。その危険をパウロも承知していました。

かくまい続けることもできたと思いますが、それはパウロにとってはピレモンの同意なしには何一つしまいと思いました。

それは、パウロがピレモンを信頼していたこと、そして、ピレモンの内にあるキリストの愛と赦しの心に委ねようと考えたからです。

 

14節 あなたの同意なしには何一つすまい、・・・自発的でなければいけないからです

 短い節ですが、ここに愛による行動原理が現れていると思います。

エス様は私たちに日々様々な良い行いを促され、よい方向性を示唆して下さっている。

それらの良い行いを示して下さいますが、私たちに同意を求めていらっしゃる。

私たちが同意して、強制されてではなく、自発的に行動に移してくれることを

高い所からではなく、私たちよりも低いところからお願いして下さっているのでないでしょうか。

愛によって行動するということは、

「むしろ愛によって」9節にあるように、自分の感情に反する場合も、世の常識に反する場合も、むしろ世の常識を超えて行動に移さなければならないこともあります。

当時のローマの常識では逃亡奴隷を死刑に処することは悪ではなかったことでしょう。しかし、パウロはそのようなローマの常識を超えて、愛による行動をクリスチャンであるピレモンに懇願したのです。

人を愛するという行動は、むしろ私の内の感情を越えなければならない時が往々にしてあります。

自発的に、むしろ喜んでするという行いの原理をパウロを通してイエス様は教えて下さっていると思います。

3. 神と人との仲保者としてのキリストの姿 

10節 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。

パウロの言葉からイエス様の仲保者としての姿を見ていきたいと思います。

① キリストのへりくだりと罪人の友 9節~14節

パウロは言わばピレモンの生みの親であり、コロサイ教会をピレモンに任せた監督としてピレモンにオネシモに処罰を与えてはならないと命じることのできる立場にいました。もちろん、ピレモンはパウロが命じたとしても直に従ったことでしょう。

しかし、パウロは命じる立場を取らず、自らへりくだって、ピレモンに懇願する立場を取りました。

ここには、イエス様は罪人の友となって、父なる神様に罪人の立場から彼らを赦してほしいと懇願して下さるイエス様のへりくだる姿を見る事が出来ます。

パウロは、ピレモンのことを私の心そのものです(12節)と言っています。

 

② キリストの執り成しと仲介 15節から17節
17節 ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。

仲保者になれる者の条件を考えてみます。

仲保者は敵対する両者の仲立ちをし、和解をもたらす務めがあります。

なので、仲保者は両者にとって親しい者、両者の立場をそれぞれ理解するとともに、

ある意味両者の立場を代表する者である必要があります。

パウロは、ピレモンと親しい同労者でした。パウロはオネシモの生みの親であり、私の心そのものだと言いました。

パウロには、両者の仲保者として条件が整っていることが理解できます。

仲保者は立場の弱い者の側に立ち、立場の弱い者に代わって、立場の強い者に赦しを乞う役目があります。

パウロは、オネシモの立場の弱さを良く理解していました。

オネシモはいくらピレモンに赦しを乞いたくても、自分が与えてしまった損害をピレモンに支払う能力は無かったのでしょう。

パウロはこのようなオネシモの心情を良く知り、むしろ法律的にではなく、愛による解決をピレモンに願ったのです。

 

エス様、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知で迷っている人々を思いやることのできる方です。

エス様は罪人の友となり、父なる神様に罪人の罪の赦しを懇願して下さいました。

 

エス様は仲保者としての条件がそろっています。

エス様は神であり人です。

エス様は神です。

神ご自身のご人格がすべて内包されています。

エス様は神として人して罪人を憐れんで下さいます。

エス様は人です。

神に造られた人として御性質のすべてを内包されています。

人として罪人の弱さをよくご存じです。

 
③ キリストのあがないと犠牲 18~19節
18節 もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。

 オネシモの支払うことのできない負債をパウロ自らが肩代わりするとピレモンに約束しました。

エス様は人が罪という負債を自ら支払うことができないことを良く知っていました。

しかし、人が己の罪の負債ゆえに、神に裁かれ永遠の滅びに至ることを善しと思わずに、キリスト自らが罪人の負債を負うゆえに、罪人を赦し、もうひとたび父なる神様の懐に帰ることを許してほしいと父なる神様に希って下さったのです。

エス様は罪人の罪の代価としてご自分のいのちを十字架の上で捧げました。

ここに愛があるのです。

 

2021,6,13 茅ヶ崎集会 メッセージ