主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと思います。ルカ1章4節

信仰の成長のために聖書を学ぶことの大切さ。 

1:ルカについて。

ルカは、ピリピの出身といわれ、ピリピの教会の初期の牧師としての働きをしたと言われています。また、ルカはパウロの同労者として、パウロがローマで投獄され、処刑される前までの期間、ともにローマで過ごしたと思われます。

 パウロは文才に恵まれていましたが、パウロの中心的な働きは、異邦人に福音を宣べ伝え、異邦人の教会を設立していくことにありました。パウロの同労者として主の弟子として歩んだルカは、パウロのように大胆な語り部ではなかったようです。ルカに与えられた召命と賜物は、文書伝道であったと言えるのではないかと思います。ルカは12使徒ではありませんでしたが、ルカの後世に残した最大の功績はこのルカによる福音書使徒行伝を書き残したことでした。文書伝道の特質は、著者が召された後も、残された文章を通して伝道が継続されるところにあります。ルカの著した福音書使徒行伝によって、後世の教会はどれだけ恵まれ教えられてきたことでしょうか。

3節『私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから』

ルカは、すでに多くの人々がイエス様の生涯について書き記していることを知っていましたが、ルカは自分自身でも、すべてのことを綿密に調べ、さらに、それらのことを綿密に順序だてて書き上げようという願いを持ちました。これは、神様が聖霊によってルカに与えた願いであって、神の御旨に良しとするところでありました。ルカは、ピリピ教会の牧会に与るとともに、文書伝道に勤しみました。

 

ルカが福音書を書き記したのは、テオピロというローマの高官のためでありました。ルカが医者として知り合ったのか、親しい間柄であったことでしょう。ルカは、このテオピロに対して、イエス様の生涯を初めから終わりまで伝えることの必要性を感じました。

当時は、イエス様について、様々なうわさも流れ、どの話が正しいのか断片的な知識だけでは、イエス様の真意が伝わりにくい状況も現れていたと思われます。

エス様を信じてまもないテオピロが、間違った教えに振り回されず、まっすぐ主の弟子となることができるよう、ルカは配慮したことでしょう。ルカは医者でしたから、肉体のケアだけでなく、魂のケアも大切であることに気が付いていたのではないかと思います。

ここから私たちが学ぶことは、

信仰の成長には、御言葉の学びが必要であるということです。

断片的な知識だでなく、イエス様の生涯とその教えを順序だてて学ぶことです。信仰に入った次に必要なことは聖書の学びです。

エス様の全体像を学んでいくことが大切なことです。

 

信仰の成長のカギは聖書の学びにあります。

信仰の成長には、ただ祈ることではなく、聖書の御言葉によって魂が養われる必要があります。

私たちの信仰の先輩であるジョージ・ミューラーはこのように言っていました『私は回心してから3年間、この神のことばをないがしろにしていた。しかし、聖書を熱心に探究し始めてからというものは、すばらしい祝福を与えられている』

また、アメリカの大衆伝道者であったムーディーは、『私は信仰を求めて祈った。そして、いつの日か信仰が稲妻のように落ちて来て、私を打つであろうと、考えた。しかし、信仰は来そうになかった。ある日私は、ローマ人への手紙10章に次ぎのことばを見出した。(そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。)

わたしは、聖書を閉じ、信仰を求めて祈った。その時から、私は聖書を開き、学び始めた。そして信仰は日ごとに成長し続けている』ムーディーは神学校は出ていませんが、聖書を良く学び、伝道によって多くの魂を刈り入れる働きを為すことが許されたのでした。

 

植物の成長に必要な要素は、光と水と土(栄養)です。

これを信仰の成長に例えると、光・・神との交わり、すなわち礼拝。水・・御霊、すなわち祈り。そして土・・すなわち御言葉。です。

この三要素がそろって、植物も信仰も成長していくのです。土がなくても、わずかに植物は成長できますが、土がなければ丈夫に立派には成長せず、実を結ぶ力もありません。

 

使徒17章11節には、模範となる聖書の学びを続けていた弟子たちの姿が記されています。

『ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた』(新共同訳)

素直であること。聖書の言葉を疑わず、そのまま信じる事。

熱心であること。御言葉を慕い求める心。

毎日、     気分が良くても悪くても御言葉に聞く。

調べていた。  知りたいと願う探究心

この結果、多くの人がイエス様を信じ、信仰に入りました。

 

教会における聖書の学び会は地味な活動に見えるかもしれませんが、

私たちの信仰、牽いては教会を成長させる底力となります。

教会に必要な集会は、礼拝会、学び会、祈り会、伝道会です。最低、この四つが有機的に機能しはじめると教会は成長し始めます。

 

私たちも、弟子たちを見習って、信仰の成長のために、聖書から順序立ててイエス様の全体像を学び続けていきたいと思います。

 

2019.11.10 茅ヶ崎集会