自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。ルカ17:10
バルジライの謙遜な心
ギルアデ人バルジライは、非常に謙遜な心を持っていました。その心とは、王を愛することそのものが彼の心の目的であって、王にただ仕えることが喜びであった心です。
しかし、バルジライの心は、王に仕えることができたことで十分であり、なんの報いも求めてはいませんでした。
私たちも主により与えられた賜物を主に用いていただき、主に仕えることが大切ですが、もっと大切なのことはその心にあります。
主の御名が崇められるようになれば、わたしの名は要りません、私の名は覚えられなくてもいいですと、主だけがあがめられることを喜ぶ心をもっているでしょうか。主だけを喜ぶ心で、主に接しているでしょうか。
イエス様も。『わたしたちは約に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。とおっしゃいました。
バルジライのように80歳になったとき、クリスチャンとしての自分の功績を誇る者ではなく、ただ主の御そばにいられることを喜べる者でありたいと願います。