主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

それ以上、王はどうして、そのような報酬を、この私にしてくださらなければならないのでしょう。Ⅱサムエル19:38

自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。ルカ17:10
 
バルジライの謙遜な心
 
ギルアデ人バルジライは、非常に謙遜な心を持っていました。その心とは、王を愛することそのものが彼の心の目的であって、王にただ仕えることが喜びであった心です。
彼は、ダビデが戦いに出ていた時に、多くの彼の財を持って、ダビデ王とその家臣たちを養いました。彼は、王に対して非常な貢献をしたのですから、王から褒美をいただき、名誉をいただいても当然のものでした。
 
しかし、バルジライの心は、王に仕えることができたことで十分であり、なんの報いも求めてはいませんでした。
 
私たちも主により与えられた賜物を主に用いていただき、主に仕えることが大切ですが、もっと大切なのことはその心にあります。
主の御名が崇められるようになれば、わたしの名は要りません、私の名は覚えられなくてもいいですと、主だけがあがめられることを喜ぶ心をもっているでしょうか。主だけを喜ぶ心で、主に接しているでしょうか。
エス様も。『わたしたちは約に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。とおっしゃいました。
 
バルジライのように80歳になったとき、クリスチャンとしての自分の功績を誇る者ではなく、ただ主の御そばにいられることを喜べる者でありたいと願います。