主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

神のご計画に従って召された人々のために、

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています。                     ローマ人への手紙8章28節
29節 あらかじめ知っておられる人々
    あらかじめ定められたからです。
30節 あらかじめ定めた人々

神様のご計画

私たちが神を愛するようになったのは、私たちが神を愛したからでなく、まず神が私たちを愛して下さったからです。神様が私たちを愛し、私たちも応答として神様を愛するようになりました。愛するようになったのは、そこが終点ではなく、神様があらかじめ用意されているご計画にそって導かれている道の中に置かれているということです。
私たちに神様が立てられた計画があるということは、つまり、私たちは無目的に造られ存在しているのではないということを知り、私たちはまず心に平安を覚えます。さらに、その人生の中に進んでいく神様のご計画において、人間的な失敗も環境の変化も思いもかけない逆境も、その一つ一つが神様のご計画の進められていく工程のために、無駄なことは一つもなく、無意味なことも一つもなく、そのすべての出来事が見事に組み合わされて神様のご計画の完成に向かって益と変えられていくということを知り、私たちはさらに大きな包み込まれるような平安の中に憩えるようになるのです。
また、神様のご計画というのは、ただ、個人にのみ働かれるのではなく、神様の全能の力により、神様を愛する人々に同時に働かれていくのです、

では、神様のご計画とは何でしょうか。それは、私たちのうちにキリストの形が造られることです。
あなたがたのうちにキリストが形造られるまでは、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。ガラテヤ書4章19節

神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。ローマ8章29節

神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。ローマ8章30節                                                 



      
また、益になるとはどういうことでしょうか。 それは、私たちの内側にキリストの形が造られるためにすべてのことが益になるということです。すべての仕事がうまくいくとか、健康がすべて守られるなど、世の御利益信仰のようにうまくいくということではありません。
(*もちろん、多くの場合は、仕事も生活も含めて主イエス様に頼る者には、主はその道をまっすぐにされるので、すべての環境も含めてよい方向へと導かれます。しかし、信仰の厚いクリスチャンが突如、すべてを失われるような状況の中に陥ったとしても、神様の目からみれば、すべては益とされているのです)
すべての機会を通して、私たちの内なる人が成長し、神の似姿へと変えられていくことです。豊かな聖霊の実を結ぶようにされていくことです。
神様のご計画とは、人の聖化であり、人の栄化であり、のちの日、つまり主にまみえる日には、すべてのことが相働いて益となり、神様の栄光を褒めたたえるようになることです。

私たちは、まだ、今の苦しみが何のためであるのかと、苦しみの意味もわからず、そのことに苦しんでいるかもしれませんが、きょうの御言葉を信じて、将来に希望をもって今日という日を歩んでいきましょう。